2歳男児3人が語る「ちんこ」と「ちんちん」の違い。
2歳男児、末っ子は汚い言葉が大好き。
「おしっこ」「うんち」「げりぴー」「くさい」「おしり」
汚い言葉はいろいろあるけど、中でも人気2トップは「ちんちん」と「ちんこ」。
今日も朝から「ちんこ!ちんこ!うんこ!!」「ちんちん!ちんちん!うんちんちん!」と私を囲み汚い言葉で大盛りあがる男児3人。
月曜日朝っぱらからうるさいなぁ、、どうにか黙らせようと思い
「ちんちんとちんこって何が違うか教えてよ」といじわるな質問を投げかけてみた。
私を中心に盆踊りのように踊りながら「ちんちん」「ちんこ」を盛り上がっていたのがピタリと止み、考えこむ3人。
「えっと、、それは、、」「なんだろ」「えっと、、だから」とそれぞれ頭を抱えだした。おー困ってる!もっと困ればいい!!と心なかで笑いながら真顔で3人の会話を聞いていた。
男2人兄弟の末っ子のAくんが「にいちゃんはちんこっていうけど、とうちゃんはちんちんっていう!」すると、同じく男2人兄弟の末っ子Bくんが「えーぱぱはちんこっていう」「なんだそれーちがうじゃん!いっしょじゃないと、こまっちゃうんだけど」と頭を抱えるAくん。
そんな2人のやりとりを聞いていた小学生の姉を持つCくんが「あ、ねーねはちんちんっていうとおこる!!」すかさずAくんが「あー!にいちゃんが「おんなにちんちんはないんだよ」っていってた!だからおこるんだよ!!」「そういうことか!おんなもほしいのか!」と納得するBとC。
ここまでの3人の話を整理しよう
・各家庭の男性それぞれ呼び方が違う
・"ちんこ"は女にはない。
・女はが欲しくてたまらないため、連呼すると怒る
A「おーおれなんかわかってきた、、」
C「わかったぁあああああ!!ちんちんはちんこがふたつだよ!!ほら、ここにふたつあるから!これだよ!!」
B「それは"たまたま"だよ!ばかちんこ!!」
A「うけるー"たまたま"だしー!!!」
一同、大爆笑
ここまでわかったこと
・各家庭の男性それぞれ呼び方が違う
・"ちんこ"は女にはない。
・女はが欲しくてたまらないため、連呼すると怒る
・"ちんちん"と"たまたま"はべつもの
A「やばい、わかった、、、(真顔)」
B、C「え、、なに、、、(つばを飲み込む)」
A「ちんちんはえいごだ、、、」
B、C、私「(あまりの衝撃に唖然とする)」
A「えりっくがテレビで言ってた、、うちのとうちゃんはえいごしゃべれるけど、Bのとうちゃんはしゃべれないんだよ、、、」
あまりの衝撃的な展開に唖然とする子どもらと私。
ちなみにエリックはNHK「英語であそぼう」でギター片手に陽気に歌うおっさん。
Aくんの一言で今までわかっていたことがすべて崩壊し、開いた口をなかなか閉じることができないBくんとCくん。
少し間を置いてBくんが「おっしゃーーーぱぱにちんちんをきょうおしえてあげよう!」C「ぼくもおねえちゃんにおしえてあげる!!」と拍手喝采、大盛り上がり。
A「あきちゃん、ちんちんはえいごで、ちんこはにほんご!ほら、かんたんでしょ!」ととびきりの笑顔を見せ小躍りを始めた。
そこからまた私をやぐらに見立てた「ちんちん、ちんこ音頭」が再スタート、心なしか一回目よりも盛り上がっているうえ、「ちんちん」の発音が「ティンティン」と英語っぽくなっていておもしろかったのでまぁ良しとしよう。
いつだって心にはガンダーラ
10人の幼児との生活がスタートして、気づけば3年の月日が流れようとしています。
幼児と喧嘩して泣かされたことも、なんか臭いなと思ったら膝の上にう○こ様が鎮座されていたのも昨日のことのようです。
約3年の間、私が大切にしていること、それは「細かく説明する」ことです。
子ども相手にはざっくばらんに「おに」「おばけ」とか言ってしまいがちですが、私は「鬼という得体のしれない角の生えたものがくるよ」とか「死んだ人の霊が来るよ」と言うようにしています。
なぜなら、子どもだとしても一人の人間だからきちんと説明しないと失礼だと考えるからです。
最近、10人の幼児たちのなかで「西遊記」がブーム。
私がガンダーラを口ずさんでいると、「なにその歌」と言われたので「まちゃあきが出ていた西遊記のエンディングテーマ、ゴダイゴのガンダーラという曲です」「え、西遊記ってなに」「猿がお坊さんと猿とかっぱと天竺を目指す話です」「なにそれ、おもしろそうじゃん」というきっかけでブームが到来。
それから何をするにもBGMはガンダーラ、読む絵本は西遊記。
こんなことになって数週間経ちました、もう飽き飽きしている私。
10人の孫悟空は私を牛魔王に見立て暴力の嵐。
そんななか一人の子どもが私に質問してきました。
「ねぇ、天竺はどこにあるの?」
「(おっとこれは想定外の質問だぞ)確か、インドですよ」
「インドって何が美味しいの?」
「インドはカレーかな、ご飯じゃなくてナンを主に食べるですよ」
「天竺では美味しいカレーとナンが食べれるのか!よっしゃぁあああ!」
カレーという単語に弱い幼児。
ごっこ遊びのなかでも『得体のしれない場所』だった天竺が『美味しいカレーを食べることができる場所』という認識に。
その後、三蔵法師役になる子が現れるように、そして「さぁ、カレーを食べに天竺に行きますよ!」と仲間たちに声をかけます。
すると9人の孫悟空が「ナンもありますか!!」という返答で盛り上がる日々。
ゴダイゴの名曲から天竺がインドであることを覚え、おいしいカレーが食べられることも覚えた10人の幼児たち。
こうやってどんどん大きくなるのはさみしいなぁと1人しみじみ。
「いつか大きくなったらカラオケで一緒にガンダーラ歌おうね」とお誘いしたら
「えーそのころにはあきちゃん死んでるよ!あはは」と言われました。
あたしゃ一人で歌うよ、ガンダーラ
Buzz Feedにあったマシュマロ×オレオを作ってみた。
私以外私じゃない、らしい。
私以外私じゃない、らしい。
昨日、デビット・ボウイがスターマンとなって星に帰りました。
寂しいとか悲しいとかじゃなくて、「奪わないで!」という、お前何様だよ。とツッコミたくなるような感情が1つだけ出てきました。
2016年の目標はイマドキの音楽についていくことです。
小さいころから60年代〜80年代の洋楽を好んで聴いているので、学生時代の友達とのカラオケについていけず、寂しい思いをするからです。
そこで、ベッキー不倫騒動をきっかけにゲスの極み乙女の「私以外私じゃないの」を聞きました。
小学校のとき見ていたおはスタで、デビューしたてのベッキーがポケモン・イングリッシュのコーナーを担当していたころから、慎ましく応援していました。
「一人前になるまで恋愛はしません」と宣言していたベッキーのスキャンダル。
あーようやく自分を認めることができたんだなとなんだか感動した。あれだけ頑張ってるんだもんな、よかったねー。なんて親戚のおばちゃんのように、今回の報道が胸にジーンと来ました。
そんな(私の)ベッキーの心を奪ったのはどこのどいつだと思いながら、例の曲を聴いています。
私以外私じゃない。そらそうだ。
いかに普通の人間か、普通って素晴らしい!ってことなのかな、「情緒」を読めない人間なので、あんまりわかんないけど、ベースラインが好きです。
楽園は努力の向こう側
ロッキーシリーズ最新作、でいいのかわかんないけど、見た。
SF、ラブコメが好きな私にとってスポ根系映画とは離れたところにいたい。
だって、生きてるだけで現実と向き合ってるのに、1800円払って「地道な努力」「上下関係」「輝く汗」「頑張ればなんでもできる」なんて見たくないのだ。
お金を払い自分の時間を差し出すなら、ありえないぐらいキラキラした世界や下心丸出しのゲスい恋愛映画か、ジェットエンジン積んだ宇宙船が高速ビームを乱射しながら宇宙を駆け巡るものに浸りたい。
「ロッキーの盟友、アポロの息子が出てくる映画見に行こうよ」と言われたらほぼ行かない。でも、私のことをよく知る彼は「アポロ見に行こう」と一言だけ私に投げかけた。
アポロ、、、アポロ!!!!!
まじかよ、アポロ計画の映画!?見てぇええええ!!!!!
ポスターを見ると黒人の男の子とスタローンが向き合ってた。「チャ、チャンプ?」「宇宙の「う」の字もねぇ。。」と落ち込みつつ席に座った。
気付いたら終わってた、ダッシュで地元のツタヤにいってロッキーシリーズを全部借りて正月休み全てロッキーシリーズに費やした。
泣いて泣いて泣きまくった。
ロッキーを見て頭に故・任天堂の岩田社長と糸井重里の対談が浮かんだ。
「あと一歩でできる、叶う」っていうときに諦めがちになっちゃう。そこを超えたときに多くのものが手に入るのに、疲れちゃったり「無理だ」と決めつけてしまう人が多いって話だったはず。
ゴールに近づくまで努力を続けると、最初は辛いんだけど少しずつ「努力をしている状態」に慣れてしまって、努力をしている状態が通常になってしまうんじゃないかと。
頑張れば頑張るだけ、夢は叶うさ!みたいなのはどうでもよくて、「努力に慣れた状態」をどれだけ保てるかも大切なのかもしれないなって思います。
きつい練習だけが全てじゃない、きつい練習に慣れたところで結果が出るんじゃくて、慣れたとしても「続ける」ことが大切で、そこを超えたところで自分の求めるものを得られるんじゃなかと。
こんなことを考えながら、もう一度対談を読んだところ、全然違ったんだけど!
事に仕える
働くことは「事に仕えること」と教わりました。