先生、きみたちを捨てたわけじゃないんだ。
22歳になる年に保育士になった。
3月31日まで大学生だったのに4月1日になったとたん「先生」と呼ばれる。
不安で胸が張り裂けそうだった出勤初日の朝、目の前にいたのは母と離れ泣き叫ぶ7人の0歳児。
何言ってんのかわかんないし、お腹空いてるのかと思って何か食べさせれば怒る。持たせた野菜スティックをぶん投げ、私によだれと鼻水と涙をぶちまけてくる。
意思疎通が上手く行かず、「なんでわかってくれないわけ!!」と泣き叫ぶ赤ちゃんと一緒に泣いたこともあった。
そんな彼らと3年間一緒に過ごした。
ただ泣き叫んでいただけの赤ちゃんが、ハイハイして、私の名前を呼び、気づけば歩いて走り出す。
昨日できなかったことが今日にできるようになり、その喜びを言葉で伝えてくれるようになった。
彼らは私の全てだった。
心のそこから愛してたし、食べちゃいたくなるぐらいかわいかった。
金曜日の夜は「あの子たちは土日なにするのかな」と考え、日曜の夜は「あー明日やっと会える!」と月曜日への期待を胸に寝てた。
私が働いていた保育園は保育園と幼稚園で分かれている。
3歳になって4月を迎えたら、幼稚園に進学する。彼らとのお別れが待っている。
彼らのいない生活は想像できなかった、毎日一緒に遊んで、楽しいことを共有して、悲しいことも共有した。
そんな彼らを送り出すのが辛かった。
だから、保育士を辞めることを決めた。
転職が決まった10月、のこり数ヶ月この子たちにありったけの愛情を注ごうと決意し、一日一日を無駄にしないように過ごした。
3月になり私の退職が発表されたとき、保護者の方から「なんで?」「6歳の卒園まで見届けてくださいよ」「ずっと一緒にいてくれるんじゃないんですか」と質問攻めにあった。
へらへらしながら「ニートになります〜」なんて返してた。
ある日、私の退職を知った子どもが私にこういった。
「先生、どこかへ行っちゃうんでしょ?なんで、もう一緒に遊ぶのやなの?」
「いい子にするよ。なんでもう怒らせないよ。ずっと一緒でしょ?」
「もう僕たちのこといらないの?きらいなの?」
3歳児の口から出た思わぬ言葉に絶句した。
思わず黙りこんでしまった私を見てポロポロと涙する子ども。気づけば私の目から涙が溢れていた。
結局、いい言葉が見つからず抱き合ってお互いの涙を拭いた。
3月31日、子どもと一緒にいられる最後の日。みんなの大好きな歌を歌い、思い出の公園でいっぱい遊び、楽しく過ごした。
勤務時間が終わる間際、お母さんたちと子どもたち全員が集まってくれた。寄せ書きをもらい幸せだった。
涙をこらえ笑顔でわかれ、園に一礼して家に帰った。
家に帰り、もらった寄せ書きに目を通す。
私に「もう僕たちのこといらないの?きらいなの?」と聞いてきた子のお母さんからのメッセージ
「先生の退職を子どもに伝えたとき、先生が僕を捨てるんだと泣き崩れました。
翌日の朝、先生にずっと一緒にいてほしいことを伝えると保育園に行きました。
帰宅後、先生にお話しできたのか聞いてみると『あきちゃん、涙で「大好きだよ」って言ってくれたよ』と笑顔でおしえてくれましたよ!」
顔がゆがんで妖怪みたいになるまで泣いた。
本当にいい仕事だなって、保育士って最高に幸せな仕事だなって思えた。
彼らと離れて3ヶ月経った、毎日寝る前には写真やムービーを見て、土日は運動会のDVDを見てる。
思い出に浸るたび「保育士に戻りたい」と思う。でも、戻らない。
だって、他の子どもたちを彼らのように心から可愛がって愛してあげることはできない。
退職する日、1人の女の子が私に「大きくなったらまた遊ぼう」って言ってくれた。
最後にあったときは腰ぐらいの身長だったけど、毎日大きくなってるんだろうな。
大きくなればなるほど、私との思い出は薄まっていく。彼らの人生はまだ始まったばかり、これからいろんなことを頭に入れていく。
「先生は僕を捨てる」なんて言うけれどそれはこっちのセリフで、きみたちは私との思い出を捨てて大きくなる。
自分がどんどん過去の存在になっていく切なさを写真のなかにいる彼らの笑顔をみて感じる。
私との思い出をどんどん捨てて、大きく大きく逞しく育ってほしい。
私はきみたち一人一人がはじめて見せてくれた笑顔、はじめて喋った言葉、そして、はじめて自分で歩いた一歩を忘れないから。
人生ではじめてタロット占いを受けた話
とてもどうでもいい話なのですが、人生ではじめてタロット占いを受けました。
「占い」って「した」なのか、「受けた」なのか。
あ、「占ってもらった」なのか。
3年間保育士として働き、現在はイケイケな媒体でライターとして働いています。
転職前から自分がやっていけるのか、とても不安でした。
転職した4月からずっと超えられない壁と戦っています。
これいつまで続くんだろう、と悩みに悩んで完全に底なし沼にいるような感覚。
自分の人格を疑い、人生で初めて自己啓発本を買ったり、前の職場に逃げたり…
自己啓発本については、友達から「ちょwおまwなにやってんのw」と指差して笑われたので読んでいません。
前の職場では「ここは不登校児を受け入れる保健室じゃねぇ」と怒られた。
(と、言いながらも必ず「いつでもおいで」って言ってくれる)
そして今回は逗子へ逃走しました。
逗子には私のセカンド実家があります。家族のように私を迎え入れてくれる人たち。
血は繋がってないけど、私を「うちの長女のあきちゃん」と紹介してくれたり、長男は私を「妹のようなもん」と言ってくれる。
物事をどう考えても否定も肯定もしない。
土曜日、朝一で逗子に向かい駅まで迎えにきてくれた兄嫁様と一緒に朝市へ。
地元と人たちが自宅で採れた野菜や、コーヒーや自分でつくったものを持ち寄って販売してる。
そんななか、タロット占いをやっている人がいた。
普段占いなんて信じないけど、沼から抜け出したくてたまらなかったので「いくらでもお金出すんでお願いします!!!!」と気合いを入れてお願いした。
関西から来たお姉さんで、明るくてものすごい素敵な笑顔で「うっしゃ、やったるわ」と受け入れてくれた。
「仕事?なに?どうしたいの?」
「とりあえず、自分がなんなのか知りたいっすね」
「ざっくりやな。子どもか!1枚自分はなんなんですか、って思いながら引いてみて」
と、言われて引いたカードが「子ども」だった。
手を叩いて笑うお姉さん、落ち込む私。
「おっけ、現状を聞いてみよう。1枚引いて」
引いたカードが「崩壊」だった。
お腹を抱えて爆笑するお姉さん、愕然とする私。
「あれやろ、今まで自分の思い通りになんでも周りが動いてきたでしょう。いやなこと1つもしないで生きてきたでしょう」
グサグサ刺さる言葉に謝罪する私。
そんな私を見ながらお姉さんは続ける。
「それって『子ども』やんか。『子ども』として培ってきたものが今壊れてんねん。こっからまた積み上げなきゃダメなのよ」
黙る私。
鼻で笑うお姉さん。
「この言葉を送ろう『しんどい状況はずっと続くもんじゃない、全てではなく1つずつ向き合いなさい』ええ言葉やろ」
じーんとする私。
「ま、漫画からやけどな!なんの漫画か忘れた!あっはっは」
元気いっぱいの笑顔を見せるお姉さんにつられて大声で笑った。
「えーねん、えーねん!視野広げてこ!」
最後の一言に背中を押され、なんだかすっきりした。
お金を払おうと思って財布を見たらお金が無くて、逗子母にお金を借りた。
もう大人なんだから、お金ぐらいちゃんと持とうと思った。
家に着き水着に着替え、海へ。
倒れるぐらい遊ぼうと思ったけど、もう大人だから完全に疲れる一歩手前で辞めた。
家に帰って御飯食べた後、夜更かしして海に散歩行こうと思ったけど、大人だから寝た。
朝も大人だからはやく起きたし、大人だからグリーン車で帰ってる。
たぶん、今いくつかあげた私の「大人シリーズ」は、ほぼ間違ってる。完全に「大人」とは関係ない。
根拠はないけど、たぶん大丈夫。
なんか大丈夫な気がするんだな、あきを。
マイ・パープル・パスト
とてもどうでもいい話なのですが、今日昔付き合っていた彼氏が41歳になりました。
もう0時過ぎたから、昨日か。
朝起きてフェイスブックを開くと、高校の友だちが今日誕生日だと教えてくれた。他にも何人か誕生日を迎えている人がいたので、横にスライドすると最後に元彼が出てきた。
去年、40歳になったときは大してなにも思わなかった。
仕事を終えて友人たちと食事にいき、他愛も無い会話でも盛り上がった帰り道。音楽を聞こうとiPhoneを手に取り再生ボタンをタッチするとDeerhoofのMy Purple Pastが流れた。
こんな良いバンドだったっけ、と思いずっと聞いているうちに「あ、これは彼が教えてくれたんだ」と感慨深い気持ちになった。
あの頃私はまだ10代で、大人の男性と付き合っていたことがとても嬉しかった。大学までバイクで迎えにきてくれるし、ハタチの誕生日にはパークハイアットの夜景が綺麗な部屋を取ってくれた。
洋服だって、音楽だって、美味しい食べものだって全部彼から教わった。
悔しいけど、自分のiTunesを見ると9割彼が入れてくれた曲が入ってる。
別れて5年経つけど、今でも仲良く連絡を取り合ってる。でも、あの頃の独身貴族的な優雅さは少しずつ消え、今は切なさの塊のような姿がある。
「あぁ、あの人を一人にしてしまったのは私なのか」と、今日はなんだか思ってしまった。
Deerhoof、いいバンドなんだよ、悔しいぐらい。一つも取りこぼしたくないと思えるぐらい、いいバンドなんだよな。
少しはなれたところで同じ音楽を聞いてくれる人のおかげで、少し気持ちは落ち着いたしDeerfoohの思い出が上書きされたような気がする。
来年の7月11日も、同じようなことを思うのかな。
私ももう20代後半、こうやっていろんなことを思いながら人は年を重ねていくんだなぁ、あきを。
SUN
最近梅雨の時期のせいなのか、気持ちがあんまり上がらない。
なんでじゃ〜なぜじゃ〜
昨日、思わぬ良い出会いがあって別れ際寂しさのあまり泣きそうになった。
こんなの久しぶりだったし、数時間あっという間だった。
今日は、福井さんが良い席を取ってくださったので、ジャージー・ボーイズを見に仕事帰り日比谷へ。ブロードウェイで1回、ロンドンで1回、映画で5回。日本での公演は2回目だけど、日本人演出、出演は初めてだった。
楽しかった〜
でも帰りの電車は寂しさでいっぱだったぁ〜
なんでじゃ〜
「切ない」は「悲しい」より辛い。
レゴは高級排泄物、一言でいうと「ラグジュアリーうんこ」
レゴはうんこだ。
8時間かけて組んだAT-ATも
完成したョ!小型犬サイズのAT-AT!私、動物アレルギーでペット飼えないから、ペット飼ってるみたいで嬉しいよ!あー楽しかった!!
16時間かけて組んだSlave-1も
1時間半かけて組んだバイクも
ぜんぶ、うんこ。
十時間以上かけて組み上げたとしても、残念ながら愛着がわかない。
結局できあがったら、排泄物のようなもので興味が一切なくなる。
こんなこと言ったら、世界中にいるレゴビルダーの方たちから袋叩きにあいそうだけど、私にとってはそんなもん。
・辿り着いたのがレゴでした
私は注意欠陥障害・多動障害(ADHD)で小さい頃から1つの場所にじっとしていることができないし、決まったものを決まった手順で進め8ていくことがとても苦手。
教科書の音読や、説明書通りに設定することが嫌いだから、なんでも自分の感覚でやってきた。「ダメだったらダメでもう一回やればいいや」って思ってた。
感覚は自分のなかのことで、伝えるときには論理的な思考が必要だということは、薄々わかっていた。
保育士からの転職を決めたとき、自分がADHDだということを言い訳に何もしてこなかったことを認めるしかなかった。
やっかいなことに、私が持っているのはADHDだけじゃない。学習障害で数学的感覚が一切ない。1という概念も、1+1が2になることもわからない。1分という時間の感覚も、1mの距離の感覚もまったくわからない。
それが原因なのか、順序立てて考えることがとても苦手。でも、克服したかった。
そこで、たどりついたのがレゴ。
・人生はレゴから学ぶ
レゴは人生において大切なことを教えてくれる。
例えば、1つのレゴを組むにはマニュアルがあって、そのマニュアルどおりに組まないと完成しない。
1つズレるとどこかで組み直さないといけなくなる。そこから、人の話をきちんと聞く大切さを学ぶ。
物事には順序があって、段階が積み重なって完成する。小さなパーツもなくてはならないものだし、無意味なものなんてないから簡単に諦めちゃいけない。
感覚で生きていた私にレゴは苦手なことを突きつけてくる。だから、毎回「うおぉおおおおおふざけんな!!!!もういやだぁあああ」なんて発狂しながらやってる。
でも、その分完成したときの達成感はもう失禁レベル。
私がレゴに求めるのは、完成までの過程と完成したときの喜びだけ。だから、完成品は苦しみから生まれた排泄物で、もう必要ない。
もはや見たくない。そして、毎回大型のを組むので狭い我が家には邪魔!
・ラグジュアリーうんこ
簡単に「うんこ」とか言ってしまっているけれど、レゴは高い。とにかく高い。
スターウォーズのAT-ATなんて2万4千円するし
Slave-Ⅰは3万円を超える。
ラグジュアリーうんこって言いたくなる値段でしょ。
・組みます、売ります
もし私のうんこが誰かにとっては輝くものかもしれない。
という願いを込めて、組み立てたものを買ってくれる方を探しています。
それか、組み立てるのめんどくさい人は連絡ください。
組み立てて送ります。
・おまけ
敬愛する兄上が組んだ、かっこいいやつ。
無断で兄上のサイト
Brick Hanger[LEGO依存症日々進行中 作品格納庫]-Top
から引っ張ってきたから怒るかも、あはは!