まだまだ、おこさまらんち

顔色が悪いだけの人生

ばいばい、私の青春おぱんつ

「今までありがとう。君たちのホックを外した男たち、優しくパンツを脱がしてくれた彼らへの感謝とともに君たちとお別れだ。お勤めご苦労であった」

 

今日下着を捨てた。

 

下着との別れは男との別れと同じぐらい切ないものだ。

 

あのとき、このパンツを履いていたな。

あぁ、あのライブで失禁したときはこのパンツを履いていた。

初めてキスしたときに履いていたのはこのパンツだ。

このブラ、ホック外しづらくってイラついてたな。

 

そんな思い出がいっぱい詰まっている。

−−

下着ってとてもプライベートなもので、いつも私を守ってくれている。

 

ブラジャーのあのホールド感、パンツのあの緊張感。

どちらも生きていく上で欠かせないものだ。

 

何も言わずに私を愛してくれ、恥部を外部から守ってくれる。

そのうえ、裸を少しだけ、いや、かなりかっこよく見せてくれる。

 

人生のお供との別れほど辛いものはない。

−−

男だってそうじゃないか。

一度裸を見せた相手、肌を重ねた相手のことは頭の片隅にずっとある。

 

文字通り、丸裸の自分を受け入れてくれた数少ない人間だもの。

愛に満ち溢れたあの時間を共に過ごした相手を嫌いになることも、忘れることも、私にはできない。

 

下着も同じで私は今まで身につけていた下着をほとんど覚えている。

 

初めて履いたグンゼのもこもこパンツも、セーラームーンの顔が描いてあるパンツだって。

 

高島屋でお母さんが買ってくれた初めてのブラジャーは水色だった。

 

Tバックデビューしたのは高校2年生のとき。母に「もう高校生なんだからTバックぐらい履きなさい」と言われ連れていかれたRue de Ryu。

 

16歳の私をみて「今から下着にこだわれば美しいカラダになれる。かわいいお顔してるんだから」とオーナーの龍 多美子さんに言われたことは昨日のことのように覚えている。

 

龍さんは50歳を過ぎても販売している下着のモデルをしていた。実年齢とは思えない艶やかなおしりに豊満な胸。彼女は私にとって神様のような存在。

 

龍さんに勧められ、母が買ってくれたTバックは桃色だった。ピンクというより桃色だった。お守りのようにずっと持っている。(さすがにもう履いてないけど)

 

気づけば下着は全部黒。龍さんの著書に「黒いブラジャーは捨てなさい」があるけど、黒い下着が好きだから読んでない。でも、きっとありがたいお言葉が書いてあるはず。

 

龍さんが販売している下着はとにかく高い。

今の私にはとても手の届かない代物なので、最近はもっぱらピーチジョンで購入している。

 −−

龍さんの著書「すべてはガーターベルトから始まった」で女はスケベでいいんだ的なことが書いてある。

 

(本当は抜粋したいけど、本が実家なのでごめんなさい)

 

母親の下着英才教育と龍さんの本の影響で「スケベな女」に対する憧れを持ったのは同世代のなかでは早い方だと思う。

 

下着はそんな自分に力をくれる三種の神器みたいなもので、うまく表現できない謎のパワーをくれるし、男性を前にしたときは戦闘服になってくれる。

 

そうでないときは優しく私を包み込み、丁寧に愛してくれる。

 

だから捨てるのは心苦しい。

−−

元日にピーチジョンがセールを開催していることを耳にしたので、3セット購入した。

 

ドラクエで例えるなら、これから私のパーティに仲間入りする人たちだ。

 

ということは、今までパーティとして活躍していた仲間とお別れしないといけない。

 

一週間は7日ある。ドラクエのように4人編成では間に合わない。

だからといって10人以上いたらルイーダの酒場で待ちぼうけを食らわせることになる。

 

大事な仲間にはいつだって臨戦態勢でいてもらいたい。

 

眉間にしわを寄せながら、もっている下着を全てベットの上に並べて吟味する。

 

きみともいい試合をしてきた。

あー、そうきみともいい時間を過ごしたよね。

あぁ…きみには感謝しかないんだよな…


彼らとの思い出に涙しながらさよならする3人を決め、感謝しゴミ箱にそっと寝かせた。

 

感傷に浸っている時間は無い。あと数日すれば新しい仲間がやってくる。

過去を振り返りたい気持ちを押し込めて、彼らとの明るい未来を想像するのだ。

−− 

ということで、まどかちゃんが撮ってくれたパンチラショットを記念に置いておきますね。

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今は亡きピンクのおぱんつ。この子はシカゴの空港で出会ったんだよ。

 

ばいばい、私の青春おぱんつ。

 

未来から逃れるために過去にダイブする。

写真のなかの私は笑ってる。鏡では見られない笑顔で。

そんな自分を見つけるたび「明日もいつか振り返れば楽しかった思い出になるよ」と自分の背中を押す。

「変わらないもの」の安心感
変わらないものが好きだ。大好きな絵本やあの小説、写真のなかのお母さんの笑顔、そして、過去の思い出。

過去は変わらない。もう過ぎてしまったものだから。楽しかった思い出はカプセルに入れて頭のなかに保存する。いつでも「その日」に戻れるように。

毎日が不安だ。家事に仕事、私に関わってくれる全ての人との関係、大切なもの、大切なことを「きちんと」できているのか。明日も「しっかり」一日を過ごすことができるのか。

「きちんと」も「しっかり」も何が基準になっているか自分でもわからない。具体的に伝えられないものを人に押し付けることは嫌いだけど、自分にはそんなことを27年間押し付けている。

そんな自分で自分にかけるプレッシャーから逃れるため、私は、過去に潜り込む。

 

未来に希望が無いわけじゃない
べつに未来に希望がないわけじゃない。

いつかお母さんになって、子どもの運動会の親競技で活躍したい。
仕事を軌道に乗せて友だちを巻き込んで楽しい時間を過ごしたい。
老後は旦那と世界中を見に行きたい。

ただ、今まで自分の求めていた結果を得たことがないだけ。

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97年の私。カメラに向かってピースして笑顔をみせてる。自分で見返してもかわいい女児だと思う。でも、前髪をみると悲しい気持ちが溢れ出てしまう。

初めての挫折は小学校受験に失敗したこと。

幼稚園から帰ると幼児教室に行き、お母さんと離れたくないのに名門校を目指す同世代と一緒に合宿に参加した。

問題にエクレアが出たときはエクレアが何かわからず先生に聞くと授業後に「あきこちゃんはエクレアを知りませんでした」と母が先生に責められていた。

小さな身体に相当なプレッシャーがかかっていたんだと思う。
第一志望校だけでなく、滑り止めの学校に落ちたとき私は自分で前髪を全部切った。

離婚後、私を一人で育てるだけでも大変だったのに受験勉強をさせてくれた母に対する申し訳無さと、自分に対する絶望感から出た6才児なりの自傷行為だ。

学生時代はいじめっこに怯えて暮らし、LD、ADHDだということもあって成績が落ちていくいっぽう。

何をやってもダメ、何もできない、何を達成できない。

27歳になってもそんな風に自分を蔑んでる。

 

思い出話しで「完全」になれる

―私たちが考えなければいけないのは、人が生まれてくるということは一切の注文を排してあなたであればいいのだよ、それが1番あなたらしい生き方なんだよ。

そう語りかけてくるものに耳を傾けていくことしかないように思います

ー「悲しみに見を添わせて」(祖父江文宏著)

プラトンが言うように人は神によって半分にされ、もう半分を探すために生き続けなければいけないんだと思う。

失った部分が埋まることで満たされるものが「愛」ならば、私にとって思い出話しは「愛」を感じられるものだ。

誰かが私からは見えない私を持ってる。それはきっと失った私の半分。

そうやって、人の頭の中に置いてもらえているということは誰かが私の存在を肯定してくれてるってこと。

私はそこにすがって生きているのかもしれない。

 

過去は「うつむいて差し出す」もの
武田百合子が文集「日々雑記」のあとがきでこう語っている。

私の五番目の文集です。四番目の『遊覧日記』から五年経ちます。なかみは変わり映えがありません。

うつむいて差し出します。

過去なんて日常の繰り返しで振り返れば変わり映えのないものだってことはわかってる。でも、自分に優しくするためにも「変わらない」過去は必要不可欠だ。

不安で眠れない夜を迎えるのは明日の自分が「きちんと」、「しっかり」できるかどうか。でも、数日経てば過去の自分を愛でている自分がいる。

わかってるんだよ、未来ってそこまで怖いものじゃないし。私はそこまで悪い人間、ダメな人間じゃないってこと。

でも、そこをなかなか認めてあげられない。

文中の風物も、今日訪ねて行ってみれば変るか消えるかしているでしょう。

ー「日々雑記」(武田百合子著)

大晦日までに腹筋が割れたら、自分を認めてあげようと思う。

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さよなら、私のファーストラブ。

打ち合わせから帰ってきて部屋着に着替える。

まだ旦那が帰ってくる気配はない。

「もうちょっとやるか…」とヘッドホンをつけ作業しようとMacBookを開いた。

画面の右上に「友だちが追加されました」の表示が現れる。「ん?」と思いみてみるとあの人だった。

 

ーあれ、今までLINEにいなかったっけ

なんとなく「元気?」とメッセージを送ってみる。

 

ーまあ、返事なんてこないだろ。すぐに返事がきたのなんて数年無いもんな

と期待する自分を押し込めた。

 

「元気じゃない」

 

何事かと思った。

 

「元気?」に対して数分で返事が返ってきたこと、返事の内容が「元気じゃない」だったこと。

全部がイレギュラーだ。

 

「どうしたの?」恐る恐る返事をしてみた。

すると難病にかかって入院しているとのことだった。

  

「今すぐいくから」と部屋着を脱ぎ捨てて服に着替える。

財布とiPhoneを持って勢いよく家を飛び出した。

 

駅につくなり病院の場所を確認するためにiPhoneを開くと「面会時間21時までなんだよ」とメッセージが来ていた。

駅の時計は20時59分を表示していた。

 

ーあぁ、いつもこうだ

 

噛み合わなくなった歯車

14歳から一緒にいる。

高校卒業まで週に一回は一緒にいた。

 

高校を卒業して大学に入ったときサークルの飲み会帰りの彼に呼び出され、真夜中に自転車で彼の元へ向かった。

「あのさ、大学卒業したら結婚してずっと一緒にいよう」と言われた。涙がでるほど嬉しかった。 

でも、わたしたちの歯車が噛み合わなくなったのはちょうどあの頃からだった。

 

会いたくて連絡をしても彼が電話に出なかったり。彼から連絡が来てもワザと返事をしなかったり。

お互いによくわからない意地を張っていたと、今振り返れば思う。

 

19の秋、アメリカ留学中の彼から「こっちに来てほしい」と連絡がきた。

すぐに「チケット見つけて連絡する」と返事をした。

翌日、買う予定のチケット情報を彼に送ったけど、返事は無かった。

 

数日経って「ごめん、骨折して入院してた。明日から日本に帰ることになった。帰ったら連絡する」と返事がきた。

 

そこから1年近く音信不通になった。

 

「去年も今年も辛いときに一緒にいてあげられなくてごめんね」

 

去ろうと思えば引き戻され、去ったなと思えば戻ってくる。

 

それでいいとずっと思っていたけど、もうそんなことを続ける意味がない。

 

というか、はじまってないものを終わらせるのは難しい。

というか、どうも自分のなかでケリをつけて終わらせられるものじゃないみたいだ。

 

「ごめん面会時間に間に合わない」と返事をする。涙がボロボロ出てくる。

 

「なんでこんなにずれちゃったんだろう」素直になれなかった自分を責める。

 

それと同時にもう終わらせないダメだと強く思った。

 

「今まで素直になれなかったけど、私にとってあなたは大事で大好きでずっと一緒にいたかった」と勇気を出してメッセージを送る。

 

「ちゃんとわかってる。今までごめんな。去年も今年も辛いときに一緒にいてあげられなくてごめん」

はじまってないものは終わらない

ROOKIE YEAR BOOK TWOの「辛い恋愛」でジェニーはこう語っている。

私たちは正式に恋人同士だったわけじゃなかったけど、3年のあいだ、耐え難いほど辛い狭間の位置にいた。

実際に身体まで痛くて痛くて、床からベッドに登れないこともあった。

 

14歳から10年近く、よくわからない関係だ。

私が彼のことをどれだけ好きでどれだけ一緒にいたかったか、彼は十分わかってたはずだ。

 

それなのに、彼は私の目の前で他の女の子と手をつなぎキスをする。

そのくせ夜になると泣きそうな声で「会いたい」と言う。

デートやセックスは彼女の仕事、私は彼が辛い時に黙って隣に座っているのが仕事。私にとっては別れのない特別な関係だった。

 

プラトンの「饗宴」のなかに確かこんな一節があった。

かつて人間は完全な存在だった。でも、あまりに人間が悪さをするので神が怒り人間を半分にした。

一生かけて自分のもう半分を探さなくてはいけなくなった。

彼はずっと私の半分だと思ってた。

人には見せたくない辛い自分をさらけ出せる存在。

2人で生きづらい世界を生きていけばいいとずっと思ってた。

 

でも、ある時を境に噛み合わなくなった。その瞬間を今でも覚えている。ずっとあのとき素直になれればよかったと自分を責めてる。

 

20歳で旦那と出会い「なんて愛に溢れた人だろう」と思った。「会いたい」と言えば「おいで」と言ってくれ、甘い言葉を囁くことなんて無いけど大事にしてくれていると強く感じた。

 

昨夜、彼から難病を患った報告を聞きボロボロ泣いた。病院の面会時間に間に合わないことがわかって駅前で声をあげて泣いた。そのときに会いたかったのは旦那だった。

 

あぁ、きっと、きっとだけど、私と彼は同じものが欠けているのかもしれない。

 

私の欠けた部分を旦那が持っていて、旦那の欠けた部分を私が持ってる。

 

人は悲しみが好きだ。叶わない片思いとか、障害のある恋愛とか。10年近くそんなものを追い求めてきて思うのはそこに温かい幸せは無いってこと。

 

温かみのある幸せはきっと、プラトンの言う半分が埋め合わさったもの。

 

ジェニーは「辛い恋愛」をこう締めている。

たぶん、真実の愛は、相手の明らかに美しい部分に対するのと同じ優しさで、酷く退屈な部分も受け止めようとさせてくれるはず。

 

私は何年も愛のために命を捧げてきたけど、ついに今は、大好きなだからこそ全然苦しくなく、誰かを愛するほうがいいなと思う。

 

泣き疲れた頃に「疲れた〜」と片手にチョコモナカジャンボを2つ持って旦那が帰ってきた。

 

「おかえり!」と犬のように走って旦那に抱きつく。

「はいはいわかったわかった」と見せる彼の笑顔をみて私は幸せだった。

 

お風呂上がりにソファに並んでチョコモナカジャンボを食べた。

アイスの甘さと彼の愛で私のマライア・キャリーの呪いはとけた気がする。

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声の中で溶けたい、旦那のいない夜に思うこと。

Ask.FMに「1人のときは何をしていますか?」という質問がきた。

 

簡単な質問なんだけど、シンプルすぎて答えづらい。

 

旦那を朝玄関で見送ってから彼が帰宅するまで私は仕事をする。

 

いくら家で仕事をしていたとしても就業中は「1人」じゃない。やらなくちゃいけないことに追われているから。

 

彼が帰ってくると同時に私の就業時間は終わる。

 

そう考えると「1人」を感じる時間はほとんどない。

 

--

 

ひとりで寝るのが本当にキライ。おばけよりも妖怪よりも避けて通りたいものだ。

 

「ひとりで寝るのは事象だから『もの』じゃなくて『こと』じゃないの」って思うだろうけど、私のなかでひとりで寝るのは得体の知れない物体。

 

 布団に入ってもひとりじゃなかなか布団の中は暖かくならないし、ひとりだから誰も今日の出来事を一緒に振り返ってはくれない。

 

優しい声で寝かしつけてはくれる人もいない。

 

さらに怖い夢をみたらどうしたらいいの?いったい誰に抱きしめてもらえばいいのよ。

 

「ひとり寝」はこうやって色んな角度から私に攻撃してくる。

 

本当に精神的辛くて、このまま、私はひとりになってしまうんじゃないかと、布団にくるまって、朝がくるのを待つ。

--

旦那が一泊二日で出張に行った。

 

 たかが、一泊二日。でも、されど一泊二日、なのだ。

 

夕方から友だちと飲みに行く。仕事を終わらせて支度をして「自由だ!」と浮かれて家を出る。

 

たわいのない話をして、笑って、大好きな曲を聴きながら帰ってくる。

 

部屋には誰もいない。悲しくて、寂しくて私は勢いよく部屋を散らかす。

 

着ているものを床に脱ぎ捨てて、カバンの中身はテーブルの上にぶちまける。

 

家中の電気をつけて音楽をかけて、テレビをつけて物理的に空間を埋めていく。

 

それぐらいしても、やっぱりひとりはいやだ。

 

--

人の声って不思議なもので、一日の終わりに布団の中で少し聴くだけで、全部が解放される。

 

そんな、寝る前の優しい声が私は好きだ。

 

あの優しい声に包まれてとろけるように眠りにつきたい。

 

だからといって彼は寝る前に出張先から電話をかけてくるようなタイプじゃない。

 

明日の夜はなんの話をしよう。私の名前を呼んで「おやすみ」って言ってくれるかな。

 

そんな期待を胸に、彼のパジャマを着て私は今夜、ひとり眠りにつく。

 

怖い夢はみませんように。

おばけもでてきませんように。 

 

 

 

 

 

追伸.

冒頭で紹介した質問にはあとでじっくり回答します。

結婚しても旦那は所詮他人である。

昨日こんなツイートをした





4つのツイートで1セットだったんだけど、2番目のツイートが多くRTされました。

RTやファボしてもらえるのはとてもうれしいのだけど、なんだか真意が伝わっているのか不安なのです。

 

旦那は会社員、営業。私はツイートをしたようにSNSの運用を仕事にしている。

 

彼は毎日定刻に出勤する。満員電車に乗って他人のため息を浴びながら。私は彼を見送ったらパソコンを開き前日のツイートの動きを確認する。


彼はオフィスで書類をつくったり営業先へ出向いたりしてるはず。

私も彼と同じようにデータを解析してレポートを作りクライアントのオフィスに顔を出す。

 

彼と私の大きな違いは職場が「会社」か「家」かってだけだ。

 

でも、彼にとって働くということは満員電車に乗って出勤し、会社に8時間いて、残業をする。疲れた顔をしながら満員電車に揺られて帰ってくる。

 

私は満員電車には乗らないし、会社はないけどネットをMacbookがあれはどこでも私のオフィス。残業なんて言い出したらきりがない。

 

彼は土日休みだ。私は土日も作業をする。できるだけ土日は彼と一緒に過ごせるように金曜日に土曜日〜月曜日までの仕事をするけど、3日間分の仕事を1日で片付けるのはしんどい。だから、結果彼を放置して仕事をする。

−−

「仕事というのは事に仕えるということだ」新卒当時に尊敬している人から言われた一言。今でもずっと頭の片隅に置いている。正社員、パート、バイト、インターンどんな形式であれ事に仕えていればそれは「仕事」なのだ。

 

何が問題かというと、彼がいまいち私の仕事を理解していないということ。3つ目のツイートで「彼が理解できるように私の仕事を伝えないといけない。これは私がやらなくちゃいけないことで、彼がする努力じゃない」と書いた。

 

これに対して「いや、そこは彼の努力だろう」と言う人が何人かいたけど、私はそうじゃないと思ってる。

 

理解できないことを「わかれ」「考えろ」というのは単なる意地悪だ。理解してもらう立場の人間は、理解するための材料を集め提供する。理解する側は受け取った材料を料理して美味しく食べて頭の深いところに落とす。

 

この2つの努力が合わさって相互理解につながるのだと私は思う。だから、今は私のターン、彼に理解してもらうために材料を集める。「あなたが出勤した後、私はね」と1日のスケジュールや仕事の予定、今どんなクライアントを抱えているか、きちんと伝えないといけない。

 

そこからは彼のターン。私が明示したものを理解して今後の対応を考える。彼に努力してもらうのはそこから。

 

−−

結婚っていうのは全く違う環境で生きてきた人間が共同生活をすること。

 

相手をわかった気になった瞬間、相互理解への道が途絶える。

 

今回「家にいるならこれぐらいやっとけよ」と彼に言わせたのは間違いなく私。「きっと彼ならわかってくれてる」と甘えの心があった。だから、そう言われて悲しむのは私の我儘。

 

相手があっての自分の生活なのだから、尊重しないといけないよね。

 

旦那だって所詮、他人。悲しいかな赤の他人なのだから理解を求めるなら他の人と同じような手順を踏まないといけないわけだよ。

 

もっと気合入れて生きてよね

今日は昔一緒にバイトしていた友人の通夜だった。

 

夕方過ぎ、すこしベットで横になっていたらバイト仲間からの電話がきた。

一緒に働いてたアイツがニュースになるほどの大きな事故で死んだと聞かされた。

 

連絡がきたのは通夜が始まる1時間前。

急な訃報に途方にくれる暇もなく、身支度をしコンビニで御香典を入れる袋を書い会場へ向かった。

 

遺影の彼は爽やかな笑顔だった。

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友人が死ぬのはこれが初めてじゃない。

 

初めて友人が亡くなったのは今年の3月。夜勤明けにタクシーに跳ねられ即死だった。

 

笑顔が爽やかで私が何をやっても笑って「また俺がお前のケツを拭くのか」と私の顔を大きな手で掴む。

 

高校から大学卒業まで、予備校帰りに寒空の下でいっしょにおでんを食べて、いっしょにバイトもした。

 

辛いときは真夜中でも自転車で駆けつけてくれた。

 

そんな彼の葬儀は私の退職日だった。

 

職場での日々をしみじみ振り返ることも、毎日いっしょにお昼を食べていた友だちとの最後のランチを楽しむこともできなかった。

 

仕事が終わり挨拶をして駆け足で葬儀場に向かう。

 

会場に入ると照れ臭そうに笑う彼の姿が額縁のなかにあった。

 

「おいおい嘘だろ」お焼香をあげながら「どっからか出てくるだろ」なんて思ってた。

 

会場の人が遺体との面会をアナウンスする。

 

いっしょにつるんでた友だちといっしょに面会にいく。

そこには変わり果てた友人の姿があった。

 

気づけば膝から崩れ落ち泣き叫んでた。


「あき大丈夫だよ。いくよ」と後ろから私の背中をさする友人。

「何も大丈夫じゃないでしょ!!」と暴れ、最終的には友人に担がれて会場の外に出た。

 

葬儀からずっと「生きるってなんだろ」、「彼の奥さんや彼の子どもはどう生きるんだろう」そんなことばかり考えてた。

 

49日が過ぎた頃、夢に彼が出てきた。

 

「やっと目が合ったよ〜」大きな身体でお気に入りの白いTシャツとニューエラのキャップをかぶってスケボーにのって現れた。

 

「あんたがいなくなったんじゃん」と言ったら「約束守れなくてごめん」と笑顔を見せる。

 

幽霊は触れられないと思いつつ、彼の腕を掴んでみたらきちんと掴めた。

 

私はそれが嬉しくて嬉しくて「バイト探そう!一緒に探すから。お金があれば家も借りられるよ」と謎な発言をして友達に電話をしまくった。

 

誰を呼び出しても「俺には見えないからバイトは紹介できない」っていう。

 

私の隣にいるよ。私と肩組んで立ってるよ。

 

何を言っても信じてもらえなくて辛かった。生きてる彼に何もできなかった私が悪いんだと自分を責めた。

 

「あき、ありがとう。楽しいこといっぱいあったよな。最近ゆっくり会えなくてごめんなー」と抱きしめてくれた。

 

彼の腕の中で呆然と過ごしていると「ちょっと娘のところに行ってくるわ」とスケボー転がして向かっていった。

 

目がさめると旦那がいて「なんでそんなに泣いてるん」と言われた。

 

そのとき私はようやく彼の死を受け入れた。

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今日お通夜だった友人、3月に亡くなった友人、そして私はバイト仲間だった。

 

しがない街のコンビニで、仕事終わりは3人でタバコを吸って缶チューハイを飲んだ。

 

初めてビールを飲んだときに「まずいなこれ」と吐き出す私を2人は指を指して笑ってた。

 

そんな時間は大学卒業と同時に終わった。それからはまったく会ってなかった。

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友だちは友だちだ。

どこかで元気にやってんだろうなと思っているときに死なれたら、会っていなくても寂しいし悲しい。受け入れがたいことだ。

 

交通事故や天災、病気、老衰、自殺、いろんな死に方があるけど、私は死ぬ=絶対数から溢れたと思ってる。

 

地球のどこかで人口が増えれそのぶん誰かが死ななきゃいけない。

 

その繰り返し。

 

今年、たまたま私の友人が2人、そこから溢れた。

 

ただ、それだけ。

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私もいつか溢れて未来ある者のために席を譲らなくちゃいけない。

 

生きるっていくつもの奇跡が重なってて、生き続けるっていうのはマッターホルン登頂よりも実は大変なものなんだと思う。

 

友人の死は辛いけど、私はまだ、きっと、まだまだ生きなきゃいけない。

 

もっと気合いを入れて生き続けなきゃいけないんだ。

 

生きねば、全力で。

「はやく結婚することはもったいない」、20代での結婚もある意味”負け犬”だった

ちょうど1年半年前に入籍をした。

5年付き合って2年同棲し、「そろそろ結婚するか」と両親の顔合わせもなく夫婦になった。

 

長い付き合いの彼との結婚、「私達なんて結婚してもなにも変わらないよ」と周囲に話していたが、内心はとても嬉しかった。とても、幸せだった。

 

彼女から「奥さん」になる。

旦那は友人との電話口で「嫁さんが」と私のことを話す。

 

病院の待合室、彼の名字で名前を呼ばれて診察室に入る。

あまり好きではない婦人科の検診だって、嫌いな虫歯の治療だってうきうきしてしまう。

 

少し遡るが、プロポーズを受けた数日後、私は幸せを噛みしめながら知人女性との会食に向かっていた。

 

指定の韓国料理に行くと先に彼女が座っている、「お久しぶりです」といいながら私も席につく。

 

少しの間談笑をして、彼女が酔っ払ってきたころに「ちょっと報告がありまして」と私は婚約の報告をした。

 

店に来るまで「きっとおめでとう!と言ってくれるんだろうな」と思っていたが、反応は真逆だった。

 

「え、なんで今なの?」

 

「まだ25でしょ、結婚する年齢じゃないでしょ。これからキャリアを積んでやっていこうって言ってるときにそんなこと普通しないでしょ」

 

「本気で仕事をしようと思っている人間の頭に『結婚』なんて浮かぶはずはない」

 

予想していた反応とのギャップに戸惑い、私は固まってしまった。


2003年に「負け犬の遠吠え」が出版された。

どんなに美人で仕事ができても、「30代以上・未婚・子ナシ」は女の負け犬

この言葉は世の女性たちに衝撃を与えたことだろう。

 

発売当時は小学生だった私だが、ドラマ化された2005年は14歳。

恋愛に興味を持ち、幸せな結婚生活を夢みるお年頃だ。

 

母は23歳で結婚し、24歳で私を産んだ。

そんな母をみて「私は負け犬にはならない」と謎の自信を持っていた。

 

JKというブランドを捨て大学に進学したころには「アラサー」という言葉が一般化する。

 

私は女子大で幼児教育を学んでいたこともあって友人たちはみな結婚願望が強かった。


「今○○大学のサークルに入って彼氏つくって結婚したら勝ち組だよね」


「やっぱ20代で結婚してはやく子ども産まないと辛いものあるよね」


なんていう会話は日常茶飯事だった。

 

母はサークルに入らない私をみて「なんのために女子大に入ったのか…出会いが無いんだからサークルで将来有望な男の子を捕まえなさいよ」なんて言っていた。

 

結婚とはなんなのか、そればかり考える学生時代だった。

 

そんなか2014年に「タラレバ娘」が発売される。


大学を卒業して社会人になり「結婚」が現実的になってきたときにつきけられた「負け犬漫画」だ。

 

女同士がつるみ、キャリアを追いかけ、不倫をしたり…

 

周りの友だちは「あんな風にはなりたくない」と合コンや婚活パーティに励みだした。

 

彼からプロポーズを受けたのは25歳の誕生日、アラサーデビューをしたときだった。

 

学生時代の友人からは「なんで一番最初にあんたが結婚するのよ」と怒られたし、「気に食わない」とド突かれることもあった。

 

友達からそう言われるたび、女として何か一つ達成した気分になった。

「あ、私これで負け犬じゃないんだ」、ふとそう感じたことを今でも覚えている。

 

そこに飛んできたのがあの知人女性の言葉だった。

 

キャリアを追いかけて結婚せずに生きていると「負け犬」だと言われ、タラとレバに叱られる。


そこを避けると「若くして結婚するともったいない」と言われる。

 

婚約から入籍までのあいだ、一体どうしたらいいのだろうと頭を抱えていた。

結婚後、少し経ったときに母から「なんでこのタイミングで結婚したのかしらね。まだまだ若いんだからできることいっぱいあったのに」と言われた。

 

まだ結婚して1年半しか経っていないが、私は好き勝手に過ごしている。

転職して、仕事を辞めて、海外に長期滞在もした。

 

何も縛られない生活だ。

 

でも、周囲からは「もったいない」や「今じゃなかった」と言われるが多い。
「結婚=可能性を捨てる」ことらしい。

 

結婚が女の幸せなのかと言えばそうじゃない、でも結婚できなかったら「負け犬」だ。


そして、結婚しても、何かの可能性を捨てた「負け犬」になるのだ。

何が正解かなんてわからない。

結婚する時期に正解も不正解もないのはわかっている。

 

どちらも「負け犬」と呼ばれるのなら、どんな負け犬になるのか、今がその勝負のときだと私は思う。