まだまだ、おこさまらんち

顔色が悪いだけの人生

Facebookは墓荒らし

22歳の時、うんこを漏らした。


深い深い墓穴を掘ってそこに埋めたはずなのに、Facebookとかいう黒船が記憶の墓場を荒らしやがった。


Facebookの「○年前の今日は〜してました!」みたいな通知は、良い思い出も深く掘った墓穴につっこんだことも全部掘り返してくる。

トライ アンド エラー精神で生きる私にとって闇に葬りたいことなんてティースプーン一杯分にも満たない。

失敗したからイマがあるし、失敗するから頑張ろうと思うし、失敗したときほど周囲の人のありがたみを再確認する。

でも、うんこを漏らしたことは誰にも触れられたくない。

うんこを漏らした瞬間、膝が砕けて立っていられなくなった気持ちをFacebookはわかるのか、わかってたまるか!おまえなんて機械だ!!(機械ではない)

とはいえ、これは私の内なる話しであってFacebookが「○年前の今日は〜してました!」と一緒に出してきた写真は友達と楽しげに食事をしている私。そして、美味しそうな餃子。

そうだよな、楽しかった思い出に見えるよな。

事実として、餃子を囲みながら気のおける友人たちと楽しいおしゃべりをしたのは楽しかった。

でも、その数時間前に私は彼氏のいない
家でうんこを漏らし、彼氏のボクサーパンツを履いて、「もうお嫁にいけない」と泣きながら汚れたデニムを洗ったんだ。

いやだったことほど心の奥深くにしまいこんではいかんのだ。友だちと合流したあと恥ずかしさを隠して面白おかしくうんこを漏らした話をした。(心では泣いていた)

でも、そんなことFacebookはしらないんだ。

よかれと思ってきっとFacebookは教えてくれている、でも、私にはたったティースプーン一杯分程度だけど掘り返してほしくないことがあるんだ。

だったら、消せばいいだろう。と思うかもしれない。でも、楽しかった友だちとの思い出、私のうんこ話を笑いながら聞いてくれた友だちとの思い出は消したくないのだ。

自分の足跡を知らず知らずうちにSNSに残している時代に、どうやって黒歴史と向き合うか考えなければ。


PS
「この写真はちょっと出さないでほしいとか設定できるようにしてほしい」という気持ちを込めて…