まだまだ、おこさまらんち

顔色が悪いだけの人生

25年前にトイレのドアとなった父へ

2歳のときに両親が離婚した。

それ以来父親とは一切会ってはいない。

 

私の記憶のなかにある最後の父の姿はトイレのドアだ。

 

「これがお父さんと会う最後だから」と母は小さな私の手を握って少し前まで家族3人で暮らしたマンションの一室、重みのあるドアを開けた。

 

「お父さん!」ドアが開いた瞬間私は勢いよく思い出の詰まった部屋に入った。

 

しばらく会っていなかった。どのぐらい会っていなかったなんて覚えていない。でも、「会いたい」と強く思っていたことは覚えてる。

 

きっと奥のリビングにいるだろう、「お父さん!」と呼びかけながら探す。

 

リビングの扉の手前、寝室のドアからお父さんがでてきた。

 

とても嬉しかった。

 

「お父さん、ぎゅーってしてよ」そう言いかけたとき、父は私に背を向けて向かいにあるトイレに入った。

 

「お父さん!」

「お父さん!!」

「肩車してよ!」

「会いたかったよ!!」

 

トイレのドアに向かって私は叫び続ける。

 

「お父さん!トイレ終わったらぎゅーってして!」そう叫んだ直後、母は私を抱えてマンションを去った。

−−
−−

あれから25年の間、誕生日が来るたび「今年はお父さんから連絡が来るかもしれない」と期待し、進級、進学をするたび「お父さんからお祝いの連絡がくるかもしれない」と期待した。

でも、そういった期待は木っ端微塵に砕け散るだけだった。

「期待は絶望への近道」、そうわかっていても毎年決まって期待し、連絡がこないことに落ち込む小さな私を「大丈夫だよ」と抱きしめた。

−−

6歳のときに新しい父親が現れた。

お父さんと同じように大きくてお腹が出てて、とても優しい人。

パパと呼ぶのが恥ずかしくて「パパちゃん」と呼び始めた日のことはまるで昨日のことのようだ。

 

そんな継父と親子関係なって今年で丸20年。

彼は出会った日から結婚して家を出た今だって、変わらぬ愛を私に注いでくれている。

 

でも、やっぱり、なにか欠けているんだよ。
−−

実父とは2、3年の付き合いだったけど、継父とは20年の付き合いだ。

たくさん一緒に笑って喧嘩もした。「なんでこんなことしてしまったんだろう」と後悔するほど傷つけるようなこともした。でも、変わらずに私を愛してくれる。

 

私がこうしたいと言えば、「そう思うならやってみれば」と笑顔で背中を押してくれる。とても寛大な人だ。

 

でも、やっぱり実父に愛されたという何かが欲しい。

そして、そう感じるたび母親は継父に対する後ろめたさがあった。

−−

授業中や移動中、ふと頭に「トイレのドア」が頭をよぎる。

そのたび、心のなかにいる2歳の私はずっと薄暗い箱のなかで小さくなって自分を責める。

「私のなにがいけなかったんだろう」

「顔も見たくなくなるほど私は悪い子だったのか」

もういい加減そんな自分を解放してあげたい。

そう思いインターネットの力を借りて、父親を見つけ出したのが今年の3月。

 

予想より早く見つかり仲介者からメールアドレスを受け取った。仕事そっちのけでメールの文章を考えて勇気を出して送信ボタンを押した。

 

数日待っても返事は来なかった。

 

「あぁ、やっぱり私の存在はなかったことにしたいんだ」と心のなかの小さな私は声を殺して泣いていた。

 

26歳の私はそんな姿をみて立ち尽くすしかなかった。

 

その後仲介者から「メールの送信が上手くいかないため電話して欲しい」と実父の電話番号が送られてきた。

恐る恐る電話をかける。

 

「もしもし…?」聞き覚えのある声だった。

 

泣きながら応答するだろうと予想していたのに「あ、もしもし私だけど元気?」と返事をした。

 

それから10分ほど話し、9月14日から実父が住んでいる中国・大連に行くことが決まった。

−−

嬉しいようで嬉しくない。


どんな人なのか、今どんな生活をしているのかまったくわからない。

 

なによりも、今の私を見て彼が後悔するのではないか…という不安で胸が張り裂けそうだ。

 

この25年間、それなりに悪いこともしたし、人もいっぱい傷つけてきた。

 

高校の現代史のテストでは「EU連合」を間違えて「ヨU連合」と書いたし、数学のテストの点数はいつだって一桁だった。

 

泥酔すれば友達の眉毛を剃り落とし、シリアルナンバー入りのジッポをその辺の植木鉢に植えたり、友達を殴ったりもした。

 

でも、私はたくさんの人に愛されてきたはず。

いろんな人に救われて25年間生きてきた。

それは何事にも変えられない事実だ。

 

でも、長い時間離れていた娘、当時2歳だったはずの娘は今では26歳、そんな時空を飛び越えて現れたような娘の私を父は受け入れてくれるのだろうか。

 

大連行きが決まってから、今まで無い緊張感にずっと襲われている。
−−

お父さん、お願いだから2歳で止まっている心の中の私を救って欲しい。

もし罪悪感を感じているのなら、私がそれを拭うから。

 

お父さん、やっとトイレから出てきてくれるんだね。

もう肩車をするのは難しいと思うけど、私を抱きしめてね。