もっと気合入れて生きてよね
今日は昔一緒にバイトしていた友人の通夜だった。
夕方過ぎ、すこしベットで横になっていたらバイト仲間からの電話がきた。
一緒に働いてたアイツがニュースになるほどの大きな事故で死んだと聞かされた。
連絡がきたのは通夜が始まる1時間前。
急な訃報に途方にくれる暇もなく、身支度をしコンビニで御香典を入れる袋を書い会場へ向かった。
遺影の彼は爽やかな笑顔だった。
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友人が死ぬのはこれが初めてじゃない。
初めて友人が亡くなったのは今年の3月。夜勤明けにタクシーに跳ねられ即死だった。
笑顔が爽やかで私が何をやっても笑って「また俺がお前のケツを拭くのか」と私の顔を大きな手で掴む。
高校から大学卒業まで、予備校帰りに寒空の下でいっしょにおでんを食べて、いっしょにバイトもした。
辛いときは真夜中でも自転車で駆けつけてくれた。
そんな彼の葬儀は私の退職日だった。
職場での日々をしみじみ振り返ることも、毎日いっしょにお昼を食べていた友だちとの最後のランチを楽しむこともできなかった。
仕事が終わり挨拶をして駆け足で葬儀場に向かう。
会場に入ると照れ臭そうに笑う彼の姿が額縁のなかにあった。
「おいおい嘘だろ」お焼香をあげながら「どっからか出てくるだろ」なんて思ってた。
会場の人が遺体との面会をアナウンスする。
いっしょにつるんでた友だちといっしょに面会にいく。
そこには変わり果てた友人の姿があった。
気づけば膝から崩れ落ち泣き叫んでた。
「あき大丈夫だよ。いくよ」と後ろから私の背中をさする友人。
「何も大丈夫じゃないでしょ!!」と暴れ、最終的には友人に担がれて会場の外に出た。
葬儀からずっと「生きるってなんだろ」、「彼の奥さんや彼の子どもはどう生きるんだろう」そんなことばかり考えてた。
49日が過ぎた頃、夢に彼が出てきた。
「やっと目が合ったよ〜」大きな身体でお気に入りの白いTシャツとニューエラのキャップをかぶってスケボーにのって現れた。
「あんたがいなくなったんじゃん」と言ったら「約束守れなくてごめん」と笑顔を見せる。
幽霊は触れられないと思いつつ、彼の腕を掴んでみたらきちんと掴めた。
私はそれが嬉しくて嬉しくて「バイト探そう!一緒に探すから。お金があれば家も借りられるよ」と謎な発言をして友達に電話をしまくった。
誰を呼び出しても「俺には見えないからバイトは紹介できない」っていう。
私の隣にいるよ。私と肩組んで立ってるよ。
何を言っても信じてもらえなくて辛かった。生きてる彼に何もできなかった私が悪いんだと自分を責めた。
「あき、ありがとう。楽しいこといっぱいあったよな。最近ゆっくり会えなくてごめんなー」と抱きしめてくれた。
彼の腕の中で呆然と過ごしていると「ちょっと娘のところに行ってくるわ」とスケボー転がして向かっていった。
目がさめると旦那がいて「なんでそんなに泣いてるん」と言われた。
そのとき私はようやく彼の死を受け入れた。
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今日お通夜だった友人、3月に亡くなった友人、そして私はバイト仲間だった。
しがない街のコンビニで、仕事終わりは3人でタバコを吸って缶チューハイを飲んだ。
初めてビールを飲んだときに「まずいなこれ」と吐き出す私を2人は指を指して笑ってた。
そんな時間は大学卒業と同時に終わった。それからはまったく会ってなかった。
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友だちは友だちだ。
どこかで元気にやってんだろうなと思っているときに死なれたら、会っていなくても寂しいし悲しい。受け入れがたいことだ。
交通事故や天災、病気、老衰、自殺、いろんな死に方があるけど、私は死ぬ=絶対数から溢れたと思ってる。
地球のどこかで人口が増えれそのぶん誰かが死ななきゃいけない。
その繰り返し。
今年、たまたま私の友人が2人、そこから溢れた。
ただ、それだけ。
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私もいつか溢れて未来ある者のために席を譲らなくちゃいけない。
生きるっていくつもの奇跡が重なってて、生き続けるっていうのはマッターホルン登頂よりも実は大変なものなんだと思う。
友人の死は辛いけど、私はまだ、きっと、まだまだ生きなきゃいけない。
もっと気合いを入れて生き続けなきゃいけないんだ。
生きねば、全力で。