まだまだ、おこさまらんち

顔色が悪いだけの人生

さよなら、私のファーストラブ。

打ち合わせから帰ってきて部屋着に着替える。

まだ旦那が帰ってくる気配はない。

「もうちょっとやるか…」とヘッドホンをつけ作業しようとMacBookを開いた。

画面の右上に「友だちが追加されました」の表示が現れる。「ん?」と思いみてみるとあの人だった。

 

ーあれ、今までLINEにいなかったっけ

なんとなく「元気?」とメッセージを送ってみる。

 

ーまあ、返事なんてこないだろ。すぐに返事がきたのなんて数年無いもんな

と期待する自分を押し込めた。

 

「元気じゃない」

 

何事かと思った。

 

「元気?」に対して数分で返事が返ってきたこと、返事の内容が「元気じゃない」だったこと。

全部がイレギュラーだ。

 

「どうしたの?」恐る恐る返事をしてみた。

すると難病にかかって入院しているとのことだった。

  

「今すぐいくから」と部屋着を脱ぎ捨てて服に着替える。

財布とiPhoneを持って勢いよく家を飛び出した。

 

駅につくなり病院の場所を確認するためにiPhoneを開くと「面会時間21時までなんだよ」とメッセージが来ていた。

駅の時計は20時59分を表示していた。

 

ーあぁ、いつもこうだ

 

噛み合わなくなった歯車

14歳から一緒にいる。

高校卒業まで週に一回は一緒にいた。

 

高校を卒業して大学に入ったときサークルの飲み会帰りの彼に呼び出され、真夜中に自転車で彼の元へ向かった。

「あのさ、大学卒業したら結婚してずっと一緒にいよう」と言われた。涙がでるほど嬉しかった。 

でも、わたしたちの歯車が噛み合わなくなったのはちょうどあの頃からだった。

 

会いたくて連絡をしても彼が電話に出なかったり。彼から連絡が来てもワザと返事をしなかったり。

お互いによくわからない意地を張っていたと、今振り返れば思う。

 

19の秋、アメリカ留学中の彼から「こっちに来てほしい」と連絡がきた。

すぐに「チケット見つけて連絡する」と返事をした。

翌日、買う予定のチケット情報を彼に送ったけど、返事は無かった。

 

数日経って「ごめん、骨折して入院してた。明日から日本に帰ることになった。帰ったら連絡する」と返事がきた。

 

そこから1年近く音信不通になった。

 

「去年も今年も辛いときに一緒にいてあげられなくてごめんね」

 

去ろうと思えば引き戻され、去ったなと思えば戻ってくる。

 

それでいいとずっと思っていたけど、もうそんなことを続ける意味がない。

 

というか、はじまってないものを終わらせるのは難しい。

というか、どうも自分のなかでケリをつけて終わらせられるものじゃないみたいだ。

 

「ごめん面会時間に間に合わない」と返事をする。涙がボロボロ出てくる。

 

「なんでこんなにずれちゃったんだろう」素直になれなかった自分を責める。

 

それと同時にもう終わらせないダメだと強く思った。

 

「今まで素直になれなかったけど、私にとってあなたは大事で大好きでずっと一緒にいたかった」と勇気を出してメッセージを送る。

 

「ちゃんとわかってる。今までごめんな。去年も今年も辛いときに一緒にいてあげられなくてごめん」

はじまってないものは終わらない

ROOKIE YEAR BOOK TWOの「辛い恋愛」でジェニーはこう語っている。

私たちは正式に恋人同士だったわけじゃなかったけど、3年のあいだ、耐え難いほど辛い狭間の位置にいた。

実際に身体まで痛くて痛くて、床からベッドに登れないこともあった。

 

14歳から10年近く、よくわからない関係だ。

私が彼のことをどれだけ好きでどれだけ一緒にいたかったか、彼は十分わかってたはずだ。

 

それなのに、彼は私の目の前で他の女の子と手をつなぎキスをする。

そのくせ夜になると泣きそうな声で「会いたい」と言う。

デートやセックスは彼女の仕事、私は彼が辛い時に黙って隣に座っているのが仕事。私にとっては別れのない特別な関係だった。

 

プラトンの「饗宴」のなかに確かこんな一節があった。

かつて人間は完全な存在だった。でも、あまりに人間が悪さをするので神が怒り人間を半分にした。

一生かけて自分のもう半分を探さなくてはいけなくなった。

彼はずっと私の半分だと思ってた。

人には見せたくない辛い自分をさらけ出せる存在。

2人で生きづらい世界を生きていけばいいとずっと思ってた。

 

でも、ある時を境に噛み合わなくなった。その瞬間を今でも覚えている。ずっとあのとき素直になれればよかったと自分を責めてる。

 

20歳で旦那と出会い「なんて愛に溢れた人だろう」と思った。「会いたい」と言えば「おいで」と言ってくれ、甘い言葉を囁くことなんて無いけど大事にしてくれていると強く感じた。

 

昨夜、彼から難病を患った報告を聞きボロボロ泣いた。病院の面会時間に間に合わないことがわかって駅前で声をあげて泣いた。そのときに会いたかったのは旦那だった。

 

あぁ、きっと、きっとだけど、私と彼は同じものが欠けているのかもしれない。

 

私の欠けた部分を旦那が持っていて、旦那の欠けた部分を私が持ってる。

 

人は悲しみが好きだ。叶わない片思いとか、障害のある恋愛とか。10年近くそんなものを追い求めてきて思うのはそこに温かい幸せは無いってこと。

 

温かみのある幸せはきっと、プラトンの言う半分が埋め合わさったもの。

 

ジェニーは「辛い恋愛」をこう締めている。

たぶん、真実の愛は、相手の明らかに美しい部分に対するのと同じ優しさで、酷く退屈な部分も受け止めようとさせてくれるはず。

 

私は何年も愛のために命を捧げてきたけど、ついに今は、大好きなだからこそ全然苦しくなく、誰かを愛するほうがいいなと思う。

 

泣き疲れた頃に「疲れた〜」と片手にチョコモナカジャンボを2つ持って旦那が帰ってきた。

 

「おかえり!」と犬のように走って旦那に抱きつく。

「はいはいわかったわかった」と見せる彼の笑顔をみて私は幸せだった。

 

お風呂上がりにソファに並んでチョコモナカジャンボを食べた。

アイスの甘さと彼の愛で私のマライア・キャリーの呪いはとけた気がする。

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