ばいばい、私の青春おぱんつ
「今までありがとう。君たちのホックを外した男たち、優しくパンツを脱がしてくれた彼らへの感謝とともに君たちとお別れだ。お勤めご苦労であった」
今日下着を捨てた。
下着との別れは男との別れと同じぐらい切ないものだ。
あのとき、このパンツを履いていたな。
あぁ、あのライブで失禁したときはこのパンツを履いていた。
初めてキスしたときに履いていたのはこのパンツだ。
このブラ、ホック外しづらくってイラついてたな。
そんな思い出がいっぱい詰まっている。
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下着ってとてもプライベートなもので、いつも私を守ってくれている。
ブラジャーのあのホールド感、パンツのあの緊張感。
どちらも生きていく上で欠かせないものだ。
何も言わずに私を愛してくれ、恥部を外部から守ってくれる。
そのうえ、裸を少しだけ、いや、かなりかっこよく見せてくれる。
人生のお供との別れほど辛いものはない。
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男だってそうじゃないか。
一度裸を見せた相手、肌を重ねた相手のことは頭の片隅にずっとある。
文字通り、丸裸の自分を受け入れてくれた数少ない人間だもの。
愛に満ち溢れたあの時間を共に過ごした相手を嫌いになることも、忘れることも、私にはできない。
下着も同じで私は今まで身につけていた下着をほとんど覚えている。
初めて履いたグンゼのもこもこパンツも、セーラームーンの顔が描いてあるパンツだって。
高島屋でお母さんが買ってくれた初めてのブラジャーは水色だった。
Tバックデビューしたのは高校2年生のとき。母に「もう高校生なんだからTバックぐらい履きなさい」と言われ連れていかれたRue de Ryu。
16歳の私をみて「今から下着にこだわれば美しいカラダになれる。かわいいお顔してるんだから」とオーナーの龍 多美子さんに言われたことは昨日のことのように覚えている。
龍さんは50歳を過ぎても販売している下着のモデルをしていた。実年齢とは思えない艶やかなおしりに豊満な胸。彼女は私にとって神様のような存在。
龍さんに勧められ、母が買ってくれたTバックは桃色だった。ピンクというより桃色だった。お守りのようにずっと持っている。(さすがにもう履いてないけど)
気づけば下着は全部黒。龍さんの著書に「黒いブラジャーは捨てなさい」があるけど、黒い下着が好きだから読んでない。でも、きっとありがたいお言葉が書いてあるはず。
龍さんが販売している下着はとにかく高い。
今の私にはとても手の届かない代物なので、最近はもっぱらピーチジョンで購入している。
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龍さんの著書「すべてはガーターベルトから始まった」で女はスケベでいいんだ的なことが書いてある。
(本当は抜粋したいけど、本が実家なのでごめんなさい)
母親の下着英才教育と龍さんの本の影響で「スケベな女」に対する憧れを持ったのは同世代のなかでは早い方だと思う。
下着はそんな自分に力をくれる三種の神器みたいなもので、うまく表現できない謎のパワーをくれるし、男性を前にしたときは戦闘服になってくれる。
そうでないときは優しく私を包み込み、丁寧に愛してくれる。
だから捨てるのは心苦しい。
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元日にピーチジョンがセールを開催していることを耳にしたので、3セット購入した。
ドラクエで例えるなら、これから私のパーティに仲間入りする人たちだ。
ということは、今までパーティとして活躍していた仲間とお別れしないといけない。
一週間は7日ある。ドラクエのように4人編成では間に合わない。
だからといって10人以上いたらルイーダの酒場で待ちぼうけを食らわせることになる。
大事な仲間にはいつだって臨戦態勢でいてもらいたい。
眉間にしわを寄せながら、もっている下着を全てベットの上に並べて吟味する。
きみともいい試合をしてきた。
あー、そうきみともいい時間を過ごしたよね。
あぁ…きみには感謝しかないんだよな…
彼らとの思い出に涙しながらさよならする3人を決め、感謝しゴミ箱にそっと寝かせた。
感傷に浸っている時間は無い。あと数日すれば新しい仲間がやってくる。
過去を振り返りたい気持ちを押し込めて、彼らとの明るい未来を想像するのだ。
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ということで、まどかちゃんが撮ってくれたパンチラショットを記念に置いておきますね。
今は亡きピンクのおぱんつ。この子はシカゴの空港で出会ったんだよ。
ばいばい、私の青春おぱんつ。