まだまだ、おこさまらんち

顔色が悪いだけの人生

どうしても腑に落ちないことがある

どうしても腑に落ちないことがあるんだ。

 

どうしても。

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半年以上前に、ask.fmにこんな質問がきた。

 

時期的に考えて、私のことをよく思わない人が投稿してきたんだろう。

 

でも、この質問は人種差別に通じていると思う。

 

もし、私が日系人だったら、もし私が白人の養子だったら、こういう質問がきたらすごく悲しいはずだ。すごく傷つくはずだ。

 

まだまだ、日本はこういう状態なんだ。

 

見た目が外国人であれば日本国籍でも"ガイジン"だし、見た目が日本人だったら、外国籍でも"ニホンジン"。

 

なんで、こういうことが考えられないのだろう。

 

どれだけ時間がたっても、これは腑に落ちないんだ。

 

ずっと誰かの1番になりたかった

「友だちが多いよね」って言われるのが本当にいやだった。

「浅いカンケイなんだね」って言われているようで。

だって、私はずっと誰かにとっての「1番」を求めてたから。

 

28歳だって「友だち」で悩む

今年で28歳になるけど、年齢問わず、人は「友人関係」に悩むもの。

最近、ようやくそんな自分を受け止められるようになった。

 

友人たちとの集いは、「彼氏がさ〜」、「この前の合コンでさ〜」なんて、恋愛関係についての愚痴、悩み、そしてノロケが飛び交うもの。

 

でも、私は目の前にある友人関係に頭を悩ませる。

 

「この子たちにとって私は何なんだろう」って。

 

一人遊びは完成すると悲しくなる

私は16歳まで一人っ子だった。

生まれてから16歳まで、学校から帰れば一人で遊んでいた。

 

幼稚園のときにピアース・ブロスナン主演の「007」をみてから、ボンド・ガールになるのが夢だった。

一人、広いリビングで自由画帳を開き、自分専用のツールを設計する。BMWの7シリーズを描いて、自分の好きな色に塗り、空を飛べる機能をつけた。

あと、大好きなマドレーヌちゃんを座らせる席もつけた。

 

完成しても見せる相手がいない。

製作中は楽しかったけど、完成すると「終わっちゃった…」と悲しい気持ちになった。

「ここに友だちがいたら違うのに」そんなことばかり考えていた。

 

自分の知らない「楽しい話」

両親がいない家に友だちは遊びにきてくれないし、許可がないと友だちの家に行けない。

 

仕事中の親に電話して許可を取るのが億劫だった。

 

そうすると一人でいるほうが楽。

 

でも、私がそうやってふてくされているあいだ、クラスメートたちはお互いの家を行き来して、楽しい時間を過ごしてる。

 

翌日、学校に行けば「昨日さ〜」「あれ面白かったよね〜」と、私の知らない思い出を語る姿を見なくちゃいけない。

 

だから、休み時間が嫌いだった。

 

いつしか友だちは敵になった。

そんな幼少期を過ごした上に、学習障害ADHDなので、人と関係を築くのが困難だった。

 

「みんな私を馬鹿にしてる」、「みんな私を消えろって思ってる」、そんな気持ちを抱えながらも、ピエロのようにおどけたり、家から漫画を学校に運んだりしてた。

 

休み時間と放課後が嫌いなのは変わらず、授業の終わりを知らせるチャイムと同時に保健室に逃げ込み、終礼後は敵陣から基地に戻るようにダッシュで家に帰ってた。

 

「どうせ、みんな楽しいことするんでしょ、私抜きで」

 

こんな気持を抱えながら。

 

長い間ずっとふてくされているんだ

先日、ふと、そこにたどり着いたものがある。

それは「あぁ、私はずっと誰かの1番になりたかったんだ」ってこと。

 

そんな学生時代を過ごしてきた私にでも、友だちはいた。

でも、私の求めていた「友だち」っていうのは、唯一無二の親友だった。

 

周囲が認める、「◯◯ちゃんと言えば△△」、「△△と言えば◯◯ちゃん」、こういうもの。

 

でも、私は友人たちのそういった存在にはなれなかった。

 

 

それが悲しくて、私はずっとふてくされているんだ。

 

もうちょっとだけふてくされたい。

大学を卒業して、仕事を含めた色々なことをきっかけに友だちが増えた。

毎月「山家会」という、私を中心にした友人たちが集まる飲み会も開催してる。

結婚パーティーには50人以上の友人が参列してくれた。

すごく幸せなことだ。すごく嬉しいことだ。

 

でも、まだ、私は「誰かの1番」を求めてる。

 

そして、まだ、「私の知らないところで楽しいことをしてる」、「みんな裏で私を蔑んでいる」と思ってる。

 

そう思い続けることは彼らにとって失礼なことだっていうのはわかってる。

 

でも、もうすこしだけ、ふてくされさせてほしい。

 

もう少し、自分に自信を持てたら、きっと「誰かの1番」を目指さなくなると思うんだ。

 

だから、あと、ちょっとだけ。

 

 

 

 

 

私は今、『愛を求めてる期』を迎えてる。

何度、「ここに愛があればいいな」と思ったことだろう。

 

ずっと満たされない「何か」にぴったりなピースを探して、その「何か」が肥大化することを恐れてる。

 

友だちがいるから、彼氏がいるから、同棲してるから、結婚してるから、側から見れば「何か」を埋めるものに見えるのかもしれない。

でも、そうじゃない。

 

自分でも困惑することがある。

 

友だちがいるのに、家族がいるのに、彼がいるのに…って。

 

じゃあ何が欲しいの?と自分に聞いても、うつむき続けて答えは出ない。

 

大好きなカルピス?牛乳にぴったり合うクッキー?じゃあ、お買い物でも行く?

 

自分のご機嫌を取るために様々なピースを用意する。

 

でも、どれもはまらない。

 

大海原に放り出されたように「いつになったら岸が見えるんだ」と悲しく切ない時間は長く感じる。

 

数日が数ヶ月に感じ、「あれ、もしかして私人生の大半寂しいのかも」なんて思ったりする。

でも、こういう気持ちになるのはずっとじゃないんだ。

 

大人になってちょっと自分を引いてみれるようになった。

 

すると、いくつもの地層が重なって自分を形成してることがわかった。

 

ちょっと前まで「愛とはなんだろう期」で、その前は「イケイケ期」で、それより前に「愛されたい期」があった。

 

「あぁ、生きるってこういうことか」って気づいた。

 

だからきっと今感じてるのも地層の一つになる。振り返れば「あ、この前まで『愛を求めてる期』だったのか」って鼻で笑ってしまう。

 

辛いことは一生続かないって大人は言うけど、たぶん、こういうことなんだろうな。

 

言われたほうは「うるせえな、今しんどいだってば。今ここから抜け出せたいんだってば」って心の中で叫んじゃうけれど。

 

きっともうすぐこのシーズンも終わる。


春になって新しい風が吹きはじめたから。

 

また楽しく過ごそうよ、カルピスでも飲みながらね。

モラトリアムに出口はない、だから、優しくしないで

愛されたいと思えば思うほど、周りの人に愛されていないと感じるのはなぜだろう。

 

触れたいと思えば思うほど、周りの人が自分を避けているように感じるのはなぜだろう。

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なんだかずっと憂いの中で生きてきた気がする。

 

「自分は愛されていない」とか、「人は皆、私を避けて生きてる」とか、そんなことばかりずっと思っていた。

 

夫婦関係だって、友人関係だって、「なんでこの人は私と一緒にいるんだろう」とずっと疑問を感じてる。

 

だから、旦那に「どうして私と一緒にいるの?」と聞いてしまう。

 

その度、旦那は困った顔をして「なんでやろな」と答える。

 

理由がなければ人は一緒にいてはいけないのか。

 

いや、そうじゃない。

 

でも、私は理由がないと一緒にいる価値のない人間だから。

 

ずっとそう思って、ずっと生きてる。

 

誰かのためにできることを模索して、誰かのためになりそうなことを習得する。

 

何かができないと、何かしないと、何か、何か、何か…

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学生時代は、本当に、苦痛だった。

 

年齢に縛られ、一つの箱に大人数の人間が幾何学的に並んでる。

 

人間関係の構築がうまくできなくて、放課後は呼び出されて「あんたと一緒にいたくないのにいてやってる」とせめられる。

 

もう開放してほしい。お願いだから、ここから出してほしい。

 

そう、刹那に思えば思うほど「逃げちゃダメだ」と首に鎖を巻く。何重にも何重にも。

 

辛くて逃げたくてしていたリストカットだって、そこには何も意味はない、そこに何も価値がないことだってわかってた。

 

でも、窮屈な人間関係、自分の居場所がない虚しさ、不安や絶望でいっぱいになった、パンパンになったカラダ。

 

「身体のなかが腐ってガスが溜まってる、抜かないと、爆発する」と刃物を片手に掴み、眠れない夜を過ごしてた。

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大学に入って、箱庭のような息苦しさから開放された。

はやく社会に出たくて、はやく「価値のある人間」になりたくて、必死だった。

 

リストカットから脱したものの、大人に喧嘩を売ってコテンパンにやられたり、一回り以上離れた人と関係を持ったり、他にも、振り返れば「何をやってんだ」とため息が出るようなことばかりしてた。

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27歳になって「価値ある人間」になれたかなんかわからない。

 

でも、一緒にいてくれる友だちや大人にとって「価値ある人間」でなければならないという気持ちは年々強くなってる。

 

この人のために何ができるのか、この人が私に何を望んでいるのか、私の何をこの人は求めているのか。

 

たまに、息苦しさを感じる。

 

「いつまでこれを続けるんだろう」、「私は誰のために生きているんだろう」。

あるときぼくは気づいたんだ。

このモラトリアムに出口がないって。

 私はもっと頑張らなきゃいけないから、まだ、これぐらいでへこたれちゃいけないから。

 

だから、優しくしないで。

優しくしてもらえるように頑張るから。

今は、まだ優しくしないで。


MGF "優しくしないで'94" (Official Music Video)

 

 

「精神的迷子」は次のステージに進んだ証拠なのかも。そうかも。

「なんだかな、なんだかな、私はこのままでいいのかな」

 

もうずっとそんなことを考えている。

 

会社員をやめて1年。
平日働いて土日に休むという生活から一変、休みのない生活になった。

 

仕事をするもしないのも、お金を稼ぐのも稼がないのも、ぜんぶ自分で決められる。
でも、私は仕事を休むことが苦手なので、気づけば週7日仕事をしている。

旦那と財布は別。自分の生活費は自分で稼がなくちゃいけない。でも、これも自分で決めたこと。

 

体調を崩して寝ていても、枕元にMacBookを持ってきて横になりながら片手で作業をする。

 

腰が痛くても、首がぎっくりになっても、作業できる姿勢を探して、何かしらの業務をこなす。

 

ただ、人に縛られてやっていることではないので、精神的に支障はない。

それはそれでつらい。




自分に優しくできなければ、人に優しくできない。そんなことはわかっているけれど、仕事を休むことで落ちる信頼感だったり、収入が減ることだったり、自分がダメな人間なんだ、という「何か」に怯えてる。

 

人に触れてもらいたい。でも、セックスはしたくない。

こんな生活をしていたら性欲が一切なくなった。

 

だから、セックスとは離れた生活を過ごしてる。

 

昔ここにも書いたけど、私はセックスで愛情を感じ、癒される性質。

 

でも、たぶん、これは過去の話しで、今は何をどうしたら愛情を感じて、癒やされるのか、わからない。

 

もしかしたら、世の中には今の私と同じように「精神的な迷子」になっている人がいるのかもしれない。

 

どうしたら、自分を癒せるのか。

どうしたら、自分を励ますことができるのか。

どうしたら、自分を幸せにできるのか。

 

今まではこれが目に見えるようにわかった。

 

カルピスを飲めば、インスタントな幸せを得られる。

ヤクルトを1パック飲めば、大体1日はハッピーでいられる。

旦那に抱きしめてもらったら、深い眠りにつける。

旦那とセックスをすれば、身も心も満たされる。

 

でも、今はわからない。まったくわからない。

 

「精神的な迷子」は、別のステージに移った証拠

人生はきっと色々なステージで構成されている、ゲームと同じように。

1つのステージをクリアすれば、先が見えない次のステージに進んでいく。

どういうアイテムがあればボスを倒せるのか、どういう仲間がいれば先に進みやすくなるのか、どうしたらHPを回復できるのか、たぶん人生も同じことなんだと思う。

 

保育士を経て、会社員を経て、昨年の10月から今の状態になった。

過去を振り返ると、自分の癒やし方も、自分の励まし方も状況によって違ってた、と、思う。

 

今はきっと別のステージに移ったから、迷子になっているんだと、思う。

そうだそうだ、きっとそう。

新しいアイテムを集める、新しい仲間を集める。

 

そう、今がきっとそのときだから、疲れた心と身体にムチを打って、前に進みましょう。

25年ぶりに実の父親と中国で再会をした話。

見知らぬ土地の空港。

「おつかれさま」

聞き覚えがありそうで無い声が目の前から聞こえてくる。

私はなんて返事をすればいいんだろう、と悩みながら「ありがとう」と答えた。

−−

25年前、両親が離婚した。

私は母に育てられた。

 

母は私が5歳のときに継父と再婚した。

私は彼のことを最初「パパ」とは呼べず「パパちゃん」と呼んでいた。

彼は心から私を愛してくれた。

悪いことをすれば冷酷な顔で論理的に説いてくる。

感情的になるのは楽しいときだけ。

涙を流しながら笑ったり、笑いすぎて背中が痛いとまた泣き出す。

 勉強ができない私に「あのね、人生長いんだからね、高校なんて6年かけて卒業すればいいの」と頭を撫でてくれた。

 

高校生のとき、生物で「血液型」について学習する時間があった。そのとき、私は自然にクラスメートの前で「私のお母さんはA型で、お父さんはB型で、私はO型。だから、AB型がいればぜんぶ揃うんだよね」と話した。

 すると、先生が「そんなはずはないでしょ、どっちかの血液型間違えてるんじゃない?」と笑う。クラスメートは「あんた実は父親か母親違うんじゃない?」と笑う。

 あぁ…私の境遇ってこういう扱いを受けるものなのかと、ピエロのように笑いながら「あれ〜ちょっと家帰ってもう一回聞いてくるわ!」と心の中で泣いていた。

−−

16歳のとき、母と継父の間に子どもが生まれた。なぜだかわからなかった。母は「あなたが1人だとかわいそうだから」と言った。

 私にとってそんなものはいらなかった。

 母と継父そして私、これで完璧な家族だったのに。妹という余計なものが私の平和を壊しにきた。

 実父を強く意識するようになったのはこの頃からだ。

 母が継父との間に子どもをつくるほど私は悪い子どもなのか、私ができの悪い子どもだから、2人はきっと子どもが欲しかったんだ。

 そういえば、お父さんはいつまで待っても電話も手紙も寄こさない。

あぁ、私はやっぱり邪魔な人間なんだ。

−−

自分で自分のことを責め続け、嫌い続け、許せないでいる。

でも、それは誰のせいでもなく、自分のせいだと大人になって気づいた。

 本当に私はダメな子どもだったのか、愛せない子どもだったのか、これらを確認してから、自分を責めるなり焼くなり殺すなりすべきだ。

 

いつまでも「大人のせい」にして生きるのはダメだ。

 

2017年3月末に父を探すことを決意し、その一週間後、中国に移住していることがわかった。

電話で25年ぶりに親子の会話をし、父に会いに中国に行くことを決意した。

https://www.instagram.com/p/BZN6MdnFU2R/

中国は大陸だった。目に入ってくる全てのものが謎だった。

 家を出てから飛行機にのるまでずっと泣いていた。

 今までいったことの無い国で、英語も日本語も通じない国で、25年間会わなかったお父さんに身を委ねるなんて、無謀だ。なんてことを決意してしまったんだ。と自分を責め続けた。

 搭乗後、何時間も泣き続けたせいもあって中国にはあっという間に到着していた。

荷物を受け取り、ゲートを出ると、見覚えのある人が私に近づいてきた。

 「あ、この人が父親か」

「まともそうだ」

悲しいかな、会ったときの感想はこれだけ。

 父はよく喋る人だった。

「遠いところまでよくきてくれたね」

「おばあちゃん、おじさん、みんな元気かな」

「ここは中国のなかでも空気が綺麗なところなんだよ」

全ての言葉に「ほう」としか答えられなかった。

 ホテルにつくと、「ちょっと散歩にいこう」と言うので、荷物を部屋に置いて2人で近くの大きな公園にいった。

 公園は大きな丘になっていて少し登ると街が一望できる。

「ちょっとそこに立って」

「わかった」

父が私にiPhoneを向ける。

「大きくなりすぎだろう」と困った顔でシャッターを押した。

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妹が生まれ大学に入学したと同時に煙草を吸い始めた。

特に意味はなく、「悪いことがしたかった」だけ。


公園内のカフェで父と珈琲を飲んだ。外の席だ。父がポッケから煙草を出した。私のポシェットの中に入っている煙草と同じ「キャスター5mg」だった。

 

怒られることを覚悟して「私も一本」とポシェットから煙草を取り出し火をつける。「おいおい、そんな大人になったのか。煙草、ちゃんと免税で買ってきたか?こっちで買うと高いぞ」と満面の笑みをみせた。

 

父にとって2歳だった娘が、突然人妻になって現れたようなもの。ようなものというか実際にそうだ。「時空の捻じれも甚だしいな」と険しい顔で言っていた。

 

私は私で微かな記憶を頼りに父を長い間想っていた。東京にいると思っていたら、中国にいて、奥さんがいて、7歳の息子がいる。

 

お互いに今の置かれている状況、目の前にいる人、全てが不思議で、何から話せばいいのかわからない。一問一答形式で3時間、身の上話を楽しんだ。

 

そこから5日間、父は私とずっと一緒にいてくれた。

朝ごはんを食べ終えたころにホテルまで迎えにきて、煙草を一箱くれる。

 

私はそこまでヘビースモーカーではないので、「そんな毎日いらないよ、こっちじゃ高いんだから」と断るが「いままで何もできなかったんだからこれぐらいもらってくれよ」と笑いながら渡してくる。

−−

3日目、お昼ごはんを食べていると父が「なあ、ゴルフ行かないか」と誘ってきた。涙が出るほど嬉しいお誘いだった。

実は、初日の公園で勇気を出して父に「私ゴルフやってたんだよね、最近やってないんだけど。お父さんゴルフ好きでしょ」。

「一緒にラウンドしようか」という言葉を待っていたけれど「好きだよ、今のお父さんとやってたのか。それは楽しいね」で終わった。

「ラウンドしたいって言うのは図々しいな」と夢を叶えるのは諦めた。

 

継父はゴルフが好きで、土日は試合でいないし、仕事が終わると練習場に寄ってから家に帰ってくる。

私はそんな彼と遊びたくて小学校2年生からゴルフをはじめた。

 

 小学校の授業で生まれたときの自分の写真が必要だった。家の奥にある扉を開くと古いアルバムがいくつもあった。

中をひらくと実父が私を抱いている写真がいっぱいあった。「あ、お父さんここにいるんだ」と、実父に会いたくなると母に見つからないようにこっそり父に会いに行っていた。

あるとき、父に会いたくてアルバムを開くとゴルフをしている写真があった。「あ、お父さんもゴルフ好きなんだ」「ゴルフ頑張ってプロになったらお父さんに会えるかも」と、そこから私はゴルフに打ち込み始めた。

ジュニア育成チームに所属し合宿やレッスンに通う日々。でも、プロになりたいという強い意思を持っているチームメイトたちと「お父さんに会いたい」でやっている自分の間には大きな溝が生まれてくる。

 

それに耐えられず中学2年生でクラブを握るのをやめた。

でも、頭のなかでは「いつかお父さんとゴルフがしたい」とずっと思ってた。私の大きな夢だった。

そして、父親との再会が決まったとき、実家に帰ってこっそりクラブを持ち出して出発まで練習に励んだ。

 

4日目の昼、父の奥さんが「私のを使って」とゴルフ用具一式貸してくれた。

車に乗り込み、ゴルフ場へ向かう。もう泣きそうだった。

ゴルフ場について、カートに乗り込む。「お父さん、夢みたいだよ」というと「おいおい、そういうこと言うなよ」と父はカートの速度を上げた。

 ティーショットは私から、膝が震えるほど緊張した。そんな私をみて父は「キャディーさんに俺がいじめていると思われるからリラックスしてくれよ」と笑う。

 父のティーショットは圧巻だった。高校生から第一線で活躍していたことは聞いたけど、想像以上にかっこよかった。「すげえ、私この人の血を引いているんだ」と自分が誇らしく感じた。

 

9番ホールを終えると父が「親子、初の共同作業をしませんか」とスクランブルを誘ってきた。

「25年分のおしり拭いてくれるってことでしょ?」と皮肉を言うと「そうだな、お前のうんこついたおしりを拭いてから25年経ったのか」と眉間にシワを寄せる。

 

スクランブルは、それぞれティーショットを打ち、良い球から交互に打っていくゴルフの遊び方の1つだ。 

「ハーフを2アンダーで上がれたら美味いビールを飲もう」そう言って最初のティーショットを打った。 

「こいつに絶対ケツは拭かせん」と必死になったが、叶うはずなく私のミスを軽やかにリカバリーしていく父。

 

最終ホールのパターを私が奇跡的に一発で決め、目標を達成した。

 

「ありがとうございました」と頭を下げ、固い握手を交わした、お互い目には涙を浮かべていた。

 

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最終日、父が空港まで送ってくれた。

特に多くは語らず抱き合って「またね」と笑顔で別れた。

セキュリティーゲートを待つ列で「よくがんばったな、私」と自分を讃えた。

 

この5日間、いろんなことを父と話した。でも、聞きたいことはきけなかった。

 

「ねぇ、私って悪い子だった?会いたいと思えない子だった?」

「私のこと愛してた?」

 

でも、それはまた今度会えたときに笑いながら「ずっと連絡くれなかったの、ほんとにひっどーーい!!」なんて言えればいいよ。今回そんなこと聞いたら泣いて終わるよ。と自分を慰めた。

https://www.instagram.com/p/BZEK98slQI1/

飛行機に乗り込み、父に「ありがとう楽しかった」とメールをいれてiPhoneの電源を切る。全てから開放されたように力が抜け、深い眠りに落ちた。おかげで寂しさを感じることはなく、あっという間に成田空港に着いた。

 

空港に着いて旦那に連絡するためiPhoneの電源を入れる。

父からメールが届いていた。

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今まで息子だったアイコンが私に変わり、ずっと欲しかった言葉がそこには並んでた。

声をあげて泣いた。泣くしかなかった。

−−

父親に会うことは本当に怖かった。異国の地で頼れるのは疎遠だった父だけ。

 

どんな仕事をしているのか、何よりも信用できる人なのか、私を受け入れてくれるのか、言葉にできない何かも含め、全てが不安だった。

 

誰かに一緒にいってほしかった、でも、これは自分が1人で解決しなくちゃいけないことだと、自分で自分にプレッシャーをかける。

 

人生で大きな何かを成し遂げるっていうのは、キャリアを積むことでも、お金持ちになることじゃない。

もちろんそれも一つだけど、過去の自分と戦って、傷ついた部分を癒やすこと、カルマ的な何かを消化することも一つだと思う。

 

もう自分の人生に悔いはない。

 

清々しい気持ちで、今、私は生きている。

−−

暗闇のなかで自分を責め続けていた あのころのわたしへ たくさん傷つけてごめんね。嫌いだなんて辛く当たってごめんね。毎日一生懸命生きてくれてありがとう。おかげでお父さんに会えたよ。もう暗くて狭いところにいなくていいよ。大丈夫だから。大好きだから。これからは楽しいこといっぱいしようね。また、お父さんに会いに行こうね。

 

elleaki1990.hatenablog.com 

特に参考にはならない5つのこと

たぶんだけど、だれの参考にもならないんですけど、私が大切にしている5つのことをまとめてみました。

 

1.イライラしてる人はだいたい便秘

保育士時代、よくイライラしている赤子をみた。

原因はお腹が空いているか、眠いか、便秘か。だいたいこの3つ。

これは人間が求める最低限の欲求なので、きっと大人になってもそこは変わらない。

だからイライラしている上司とか同僚をみると「あぁ、うんこ出てないんだろうな」とか「最近セックスしてないんだろうな」と思うようにしてる。

すると生まれたての赤ちゃんに見えてくるのでおすすめ。

 

2.疲労を感じたら全裸になる

「疲れ」ってやっかいで一瞬でも「あ、疲れてるかも」って思った瞬間、身の回りのものすべてが億劫になる。

「大人だから堪えないと」とか「次の休みはいつだっけ‥」とか紛らわそうとするんだけど、それが更に「疲れ」を加速させる。

なので、疲れを感じたら全裸が1番。洋服の重みや社会的な何かから離脱して全裸で5分でも10分でもダラダラすればリフレッシュできるのでおすすめ。

 

3.パートナーとは適切な距離を保つ

恋人との時間は大事。ただ、「他人と他人がくっついている」という状況を忘れると、自分の首を締めることになる。 

だから、自分の世界と相手の世界を切り分けて、お互いに尊重して、どちらかの世界に足を突っ込むときは「お邪魔させていただいてる」という感覚を持つとめんどくさそうに感じるけど楽。 

長期的な関係に、これは不可欠なことだと思う。

 

4.「わかってほしい」をやめる

「わかってほしい」、「わかってくれない」は10歳ぐらいで卒業すべきだったと反省。

他人に理解を求めるためには自分の頭のなかにあることを整理して相手が理解できる方法で伝えないと意味がない。

これについてはこんなブログを書きました。

elleaki1990.hatenablog.com

 

5.うまくサボって自分をもてなす

結局、自分。自分に優しくできない人は人に優しくできないと強く感じる。そして自分が楽しい環境を作れる人に人は寄っていく。

楽しむってポジティブなことしかないから、楽しそうな人が1人いるだけで、その場の空気は変わるんだと思う。

だから、仕事をサボったり、友だちとの飲み会をサボったりするのは、とても大切なこと。

1日サボったぐらいでクビになんてならないし、お給料が減って困るわけじゃない。

友だちとの飲み会を断って、友だちが減るんだったら、その人は元々友だちじゃない。

だから、サボって生まれた時間を家で全裸になるとか、オナニーしまくるとか、自分が好きそうな映画を観に行くとか、自分をもてなす時間にあててみて。

世界が違って見えるから。

 

5+1.一緒にいたくない人とは一緒にいない

エネルギーを吸い取る系の人って絶対どこにでもいて、やる気や楽しい気持ちとかポジティブなものを一気に吸い取って去っていく。

そういう人を見つけたら、あるいは、そういう人だと気づいたら、すぐにシャットアウトすべし。

付き合いが長いとか、義理とか、そういうふんわりした縛りに囚われるよりも、楽しいい気持ちややる気を大切にしてくれる人との時間のほうが100倍大切。

 

最後に

だから、参考にもならないって言ったでしょ!!