まだまだ、おこさまらんち

顔色が悪いだけの人生

結婚しても旦那は所詮他人である。

昨日こんなツイートをした





4つのツイートで1セットだったんだけど、2番目のツイートが多くRTされました。

RTやファボしてもらえるのはとてもうれしいのだけど、なんだか真意が伝わっているのか不安なのです。

 

旦那は会社員、営業。私はツイートをしたようにSNSの運用を仕事にしている。

 

彼は毎日定刻に出勤する。満員電車に乗って他人のため息を浴びながら。私は彼を見送ったらパソコンを開き前日のツイートの動きを確認する。


彼はオフィスで書類をつくったり営業先へ出向いたりしてるはず。

私も彼と同じようにデータを解析してレポートを作りクライアントのオフィスに顔を出す。

 

彼と私の大きな違いは職場が「会社」か「家」かってだけだ。

 

でも、彼にとって働くということは満員電車に乗って出勤し、会社に8時間いて、残業をする。疲れた顔をしながら満員電車に揺られて帰ってくる。

 

私は満員電車には乗らないし、会社はないけどネットをMacbookがあれはどこでも私のオフィス。残業なんて言い出したらきりがない。

 

彼は土日休みだ。私は土日も作業をする。できるだけ土日は彼と一緒に過ごせるように金曜日に土曜日〜月曜日までの仕事をするけど、3日間分の仕事を1日で片付けるのはしんどい。だから、結果彼を放置して仕事をする。

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「仕事というのは事に仕えるということだ」新卒当時に尊敬している人から言われた一言。今でもずっと頭の片隅に置いている。正社員、パート、バイト、インターンどんな形式であれ事に仕えていればそれは「仕事」なのだ。

 

何が問題かというと、彼がいまいち私の仕事を理解していないということ。3つ目のツイートで「彼が理解できるように私の仕事を伝えないといけない。これは私がやらなくちゃいけないことで、彼がする努力じゃない」と書いた。

 

これに対して「いや、そこは彼の努力だろう」と言う人が何人かいたけど、私はそうじゃないと思ってる。

 

理解できないことを「わかれ」「考えろ」というのは単なる意地悪だ。理解してもらう立場の人間は、理解するための材料を集め提供する。理解する側は受け取った材料を料理して美味しく食べて頭の深いところに落とす。

 

この2つの努力が合わさって相互理解につながるのだと私は思う。だから、今は私のターン、彼に理解してもらうために材料を集める。「あなたが出勤した後、私はね」と1日のスケジュールや仕事の予定、今どんなクライアントを抱えているか、きちんと伝えないといけない。

 

そこからは彼のターン。私が明示したものを理解して今後の対応を考える。彼に努力してもらうのはそこから。

 

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結婚っていうのは全く違う環境で生きてきた人間が共同生活をすること。

 

相手をわかった気になった瞬間、相互理解への道が途絶える。

 

今回「家にいるならこれぐらいやっとけよ」と彼に言わせたのは間違いなく私。「きっと彼ならわかってくれてる」と甘えの心があった。だから、そう言われて悲しむのは私の我儘。

 

相手があっての自分の生活なのだから、尊重しないといけないよね。

 

旦那だって所詮、他人。悲しいかな赤の他人なのだから理解を求めるなら他の人と同じような手順を踏まないといけないわけだよ。

 

もっと気合入れて生きてよね

今日は昔一緒にバイトしていた友人の通夜だった。

 

夕方過ぎ、すこしベットで横になっていたらバイト仲間からの電話がきた。

一緒に働いてたアイツがニュースになるほどの大きな事故で死んだと聞かされた。

 

連絡がきたのは通夜が始まる1時間前。

急な訃報に途方にくれる暇もなく、身支度をしコンビニで御香典を入れる袋を書い会場へ向かった。

 

遺影の彼は爽やかな笑顔だった。

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友人が死ぬのはこれが初めてじゃない。

 

初めて友人が亡くなったのは今年の3月。夜勤明けにタクシーに跳ねられ即死だった。

 

笑顔が爽やかで私が何をやっても笑って「また俺がお前のケツを拭くのか」と私の顔を大きな手で掴む。

 

高校から大学卒業まで、予備校帰りに寒空の下でいっしょにおでんを食べて、いっしょにバイトもした。

 

辛いときは真夜中でも自転車で駆けつけてくれた。

 

そんな彼の葬儀は私の退職日だった。

 

職場での日々をしみじみ振り返ることも、毎日いっしょにお昼を食べていた友だちとの最後のランチを楽しむこともできなかった。

 

仕事が終わり挨拶をして駆け足で葬儀場に向かう。

 

会場に入ると照れ臭そうに笑う彼の姿が額縁のなかにあった。

 

「おいおい嘘だろ」お焼香をあげながら「どっからか出てくるだろ」なんて思ってた。

 

会場の人が遺体との面会をアナウンスする。

 

いっしょにつるんでた友だちといっしょに面会にいく。

そこには変わり果てた友人の姿があった。

 

気づけば膝から崩れ落ち泣き叫んでた。


「あき大丈夫だよ。いくよ」と後ろから私の背中をさする友人。

「何も大丈夫じゃないでしょ!!」と暴れ、最終的には友人に担がれて会場の外に出た。

 

葬儀からずっと「生きるってなんだろ」、「彼の奥さんや彼の子どもはどう生きるんだろう」そんなことばかり考えてた。

 

49日が過ぎた頃、夢に彼が出てきた。

 

「やっと目が合ったよ〜」大きな身体でお気に入りの白いTシャツとニューエラのキャップをかぶってスケボーにのって現れた。

 

「あんたがいなくなったんじゃん」と言ったら「約束守れなくてごめん」と笑顔を見せる。

 

幽霊は触れられないと思いつつ、彼の腕を掴んでみたらきちんと掴めた。

 

私はそれが嬉しくて嬉しくて「バイト探そう!一緒に探すから。お金があれば家も借りられるよ」と謎な発言をして友達に電話をしまくった。

 

誰を呼び出しても「俺には見えないからバイトは紹介できない」っていう。

 

私の隣にいるよ。私と肩組んで立ってるよ。

 

何を言っても信じてもらえなくて辛かった。生きてる彼に何もできなかった私が悪いんだと自分を責めた。

 

「あき、ありがとう。楽しいこといっぱいあったよな。最近ゆっくり会えなくてごめんなー」と抱きしめてくれた。

 

彼の腕の中で呆然と過ごしていると「ちょっと娘のところに行ってくるわ」とスケボー転がして向かっていった。

 

目がさめると旦那がいて「なんでそんなに泣いてるん」と言われた。

 

そのとき私はようやく彼の死を受け入れた。

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今日お通夜だった友人、3月に亡くなった友人、そして私はバイト仲間だった。

 

しがない街のコンビニで、仕事終わりは3人でタバコを吸って缶チューハイを飲んだ。

 

初めてビールを飲んだときに「まずいなこれ」と吐き出す私を2人は指を指して笑ってた。

 

そんな時間は大学卒業と同時に終わった。それからはまったく会ってなかった。

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友だちは友だちだ。

どこかで元気にやってんだろうなと思っているときに死なれたら、会っていなくても寂しいし悲しい。受け入れがたいことだ。

 

交通事故や天災、病気、老衰、自殺、いろんな死に方があるけど、私は死ぬ=絶対数から溢れたと思ってる。

 

地球のどこかで人口が増えれそのぶん誰かが死ななきゃいけない。

 

その繰り返し。

 

今年、たまたま私の友人が2人、そこから溢れた。

 

ただ、それだけ。

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私もいつか溢れて未来ある者のために席を譲らなくちゃいけない。

 

生きるっていくつもの奇跡が重なってて、生き続けるっていうのはマッターホルン登頂よりも実は大変なものなんだと思う。

 

友人の死は辛いけど、私はまだ、きっと、まだまだ生きなきゃいけない。

 

もっと気合いを入れて生き続けなきゃいけないんだ。

 

生きねば、全力で。

「はやく結婚することはもったいない」、20代での結婚もある意味”負け犬”だった

ちょうど1年半年前に入籍をした。

5年付き合って2年同棲し、「そろそろ結婚するか」と両親の顔合わせもなく夫婦になった。

 

長い付き合いの彼との結婚、「私達なんて結婚してもなにも変わらないよ」と周囲に話していたが、内心はとても嬉しかった。とても、幸せだった。

 

彼女から「奥さん」になる。

旦那は友人との電話口で「嫁さんが」と私のことを話す。

 

病院の待合室、彼の名字で名前を呼ばれて診察室に入る。

あまり好きではない婦人科の検診だって、嫌いな虫歯の治療だってうきうきしてしまう。

 

少し遡るが、プロポーズを受けた数日後、私は幸せを噛みしめながら知人女性との会食に向かっていた。

 

指定の韓国料理に行くと先に彼女が座っている、「お久しぶりです」といいながら私も席につく。

 

少しの間談笑をして、彼女が酔っ払ってきたころに「ちょっと報告がありまして」と私は婚約の報告をした。

 

店に来るまで「きっとおめでとう!と言ってくれるんだろうな」と思っていたが、反応は真逆だった。

 

「え、なんで今なの?」

 

「まだ25でしょ、結婚する年齢じゃないでしょ。これからキャリアを積んでやっていこうって言ってるときにそんなこと普通しないでしょ」

 

「本気で仕事をしようと思っている人間の頭に『結婚』なんて浮かぶはずはない」

 

予想していた反応とのギャップに戸惑い、私は固まってしまった。


2003年に「負け犬の遠吠え」が出版された。

どんなに美人で仕事ができても、「30代以上・未婚・子ナシ」は女の負け犬

この言葉は世の女性たちに衝撃を与えたことだろう。

 

発売当時は小学生だった私だが、ドラマ化された2005年は14歳。

恋愛に興味を持ち、幸せな結婚生活を夢みるお年頃だ。

 

母は23歳で結婚し、24歳で私を産んだ。

そんな母をみて「私は負け犬にはならない」と謎の自信を持っていた。

 

JKというブランドを捨て大学に進学したころには「アラサー」という言葉が一般化する。

 

私は女子大で幼児教育を学んでいたこともあって友人たちはみな結婚願望が強かった。


「今○○大学のサークルに入って彼氏つくって結婚したら勝ち組だよね」


「やっぱ20代で結婚してはやく子ども産まないと辛いものあるよね」


なんていう会話は日常茶飯事だった。

 

母はサークルに入らない私をみて「なんのために女子大に入ったのか…出会いが無いんだからサークルで将来有望な男の子を捕まえなさいよ」なんて言っていた。

 

結婚とはなんなのか、そればかり考える学生時代だった。

 

そんなか2014年に「タラレバ娘」が発売される。


大学を卒業して社会人になり「結婚」が現実的になってきたときにつきけられた「負け犬漫画」だ。

 

女同士がつるみ、キャリアを追いかけ、不倫をしたり…

 

周りの友だちは「あんな風にはなりたくない」と合コンや婚活パーティに励みだした。

 

彼からプロポーズを受けたのは25歳の誕生日、アラサーデビューをしたときだった。

 

学生時代の友人からは「なんで一番最初にあんたが結婚するのよ」と怒られたし、「気に食わない」とド突かれることもあった。

 

友達からそう言われるたび、女として何か一つ達成した気分になった。

「あ、私これで負け犬じゃないんだ」、ふとそう感じたことを今でも覚えている。

 

そこに飛んできたのがあの知人女性の言葉だった。

 

キャリアを追いかけて結婚せずに生きていると「負け犬」だと言われ、タラとレバに叱られる。


そこを避けると「若くして結婚するともったいない」と言われる。

 

婚約から入籍までのあいだ、一体どうしたらいいのだろうと頭を抱えていた。

結婚後、少し経ったときに母から「なんでこのタイミングで結婚したのかしらね。まだまだ若いんだからできることいっぱいあったのに」と言われた。

 

まだ結婚して1年半しか経っていないが、私は好き勝手に過ごしている。

転職して、仕事を辞めて、海外に長期滞在もした。

 

何も縛られない生活だ。

 

でも、周囲からは「もったいない」や「今じゃなかった」と言われるが多い。
「結婚=可能性を捨てる」ことらしい。

 

結婚が女の幸せなのかと言えばそうじゃない、でも結婚できなかったら「負け犬」だ。


そして、結婚しても、何かの可能性を捨てた「負け犬」になるのだ。

何が正解かなんてわからない。

結婚する時期に正解も不正解もないのはわかっている。

 

どちらも「負け犬」と呼ばれるのなら、どんな負け犬になるのか、今がその勝負のときだと私は思う。

 

25年前にトイレのドアとなった父へ

2歳のときに両親が離婚した。

それ以来父親とは一切会ってはいない。

 

私の記憶のなかにある最後の父の姿はトイレのドアだ。

 

「これがお父さんと会う最後だから」と母は小さな私の手を握って少し前まで家族3人で暮らしたマンションの一室、重みのあるドアを開けた。

 

「お父さん!」ドアが開いた瞬間私は勢いよく思い出の詰まった部屋に入った。

 

しばらく会っていなかった。どのぐらい会っていなかったなんて覚えていない。でも、「会いたい」と強く思っていたことは覚えてる。

 

きっと奥のリビングにいるだろう、「お父さん!」と呼びかけながら探す。

 

リビングの扉の手前、寝室のドアからお父さんがでてきた。

 

とても嬉しかった。

 

「お父さん、ぎゅーってしてよ」そう言いかけたとき、父は私に背を向けて向かいにあるトイレに入った。

 

「お父さん!」

「お父さん!!」

「肩車してよ!」

「会いたかったよ!!」

 

トイレのドアに向かって私は叫び続ける。

 

「お父さん!トイレ終わったらぎゅーってして!」そう叫んだ直後、母は私を抱えてマンションを去った。

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−−

あれから25年の間、誕生日が来るたび「今年はお父さんから連絡が来るかもしれない」と期待し、進級、進学をするたび「お父さんからお祝いの連絡がくるかもしれない」と期待した。

でも、そういった期待は木っ端微塵に砕け散るだけだった。

「期待は絶望への近道」、そうわかっていても毎年決まって期待し、連絡がこないことに落ち込む小さな私を「大丈夫だよ」と抱きしめた。

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6歳のときに新しい父親が現れた。

お父さんと同じように大きくてお腹が出てて、とても優しい人。

パパと呼ぶのが恥ずかしくて「パパちゃん」と呼び始めた日のことはまるで昨日のことのようだ。

 

そんな継父と親子関係なって今年で丸20年。

彼は出会った日から結婚して家を出た今だって、変わらぬ愛を私に注いでくれている。

 

でも、やっぱり、なにか欠けているんだよ。
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実父とは2、3年の付き合いだったけど、継父とは20年の付き合いだ。

たくさん一緒に笑って喧嘩もした。「なんでこんなことしてしまったんだろう」と後悔するほど傷つけるようなこともした。でも、変わらずに私を愛してくれる。

 

私がこうしたいと言えば、「そう思うならやってみれば」と笑顔で背中を押してくれる。とても寛大な人だ。

 

でも、やっぱり実父に愛されたという何かが欲しい。

そして、そう感じるたび母親は継父に対する後ろめたさがあった。

−−

授業中や移動中、ふと頭に「トイレのドア」が頭をよぎる。

そのたび、心のなかにいる2歳の私はずっと薄暗い箱のなかで小さくなって自分を責める。

「私のなにがいけなかったんだろう」

「顔も見たくなくなるほど私は悪い子だったのか」

もういい加減そんな自分を解放してあげたい。

そう思いインターネットの力を借りて、父親を見つけ出したのが今年の3月。

 

予想より早く見つかり仲介者からメールアドレスを受け取った。仕事そっちのけでメールの文章を考えて勇気を出して送信ボタンを押した。

 

数日待っても返事は来なかった。

 

「あぁ、やっぱり私の存在はなかったことにしたいんだ」と心のなかの小さな私は声を殺して泣いていた。

 

26歳の私はそんな姿をみて立ち尽くすしかなかった。

 

その後仲介者から「メールの送信が上手くいかないため電話して欲しい」と実父の電話番号が送られてきた。

恐る恐る電話をかける。

 

「もしもし…?」聞き覚えのある声だった。

 

泣きながら応答するだろうと予想していたのに「あ、もしもし私だけど元気?」と返事をした。

 

それから10分ほど話し、9月14日から実父が住んでいる中国・大連に行くことが決まった。

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嬉しいようで嬉しくない。


どんな人なのか、今どんな生活をしているのかまったくわからない。

 

なによりも、今の私を見て彼が後悔するのではないか…という不安で胸が張り裂けそうだ。

 

この25年間、それなりに悪いこともしたし、人もいっぱい傷つけてきた。

 

高校の現代史のテストでは「EU連合」を間違えて「ヨU連合」と書いたし、数学のテストの点数はいつだって一桁だった。

 

泥酔すれば友達の眉毛を剃り落とし、シリアルナンバー入りのジッポをその辺の植木鉢に植えたり、友達を殴ったりもした。

 

でも、私はたくさんの人に愛されてきたはず。

いろんな人に救われて25年間生きてきた。

それは何事にも変えられない事実だ。

 

でも、長い時間離れていた娘、当時2歳だったはずの娘は今では26歳、そんな時空を飛び越えて現れたような娘の私を父は受け入れてくれるのだろうか。

 

大連行きが決まってから、今まで無い緊張感にずっと襲われている。
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お父さん、お願いだから2歳で止まっている心の中の私を救って欲しい。

もし罪悪感を感じているのなら、私がそれを拭うから。

 

お父さん、やっとトイレから出てきてくれるんだね。

もう肩車をするのは難しいと思うけど、私を抱きしめてね。

「赤ちゃん返り」で旦那を動かすことのすゝめ

「赤ちゃん返り」、それは2人目を授かったお母さんたちが悩む大きな壁。

今まで世界の中心が自分だと思っていた子どもがその中心が弟や妹にズレていくことに耐えられず起こす行動を「赤ちゃん返り」と呼ぶ。

世間で赤ちゃん返りと呼ばれるものは「ご飯を一人で食べられなくなった」とか「突然赤ちゃんのようにアバアバ言い出した」など。

 

でもな、保育士は「赤ちゃん返り」の天才なんだよ。

そのへんの幼児よりもエクストリームな赤ちゃん返りをいつでも発動できるんだよ。

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保育士をしていた3年間。およそ30人の乳幼児と関わった。

「どう大人を懲らしめてやろうか」ということで頭がいっぱいな2歳児の担任もした。

 

やつらはそのへんのヤンキーよりも恐ろしくお散歩中は「歩かない」と座り込み、放置するとこれでもかと泣き叫ぶ。

 

お腹が空いているはずなのに「絶対食べない」と頑なに口を閉じ「じゃあ、食べ終わるまでそこにいなさい」と言えば何時間も座っている。しかも気づくと寝てる。

 

何度「こいつら…」とイライラしたことだろう。

 

旦那は朝8時過ぎに出勤して残業して帰ってくる。でも、前職は時間が読めない特殊な仕事だった。

 

そんな結婚前、一緒にいる時間もマンネリ化して日に日に「こいつ私の扱い雑だな」と感じる時期があった。

 

ゲームをすれば何時間もかまってくれない、ゲームが終われば「疲れた」と言って布団に入る。

 

そこで閃いたのが「赤ちゃん返り」だった。

 

私にはやつらのデータ全てが頭に入っている。これは必殺技になるな!と保育士資格を取った自分をたくさん褒めた。

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「なんとかしてこいつのことを困らせてやろう」頭のなかで当時担任していた子どもたち、どこの子を憑依させて戦うかを必死に考えた。

 

一人噛み癖のある子がいたので「とりあえず身体的ダメージだ」と思いゲームに集中している旦那の肩を思いっきり噛んでやった。

 

「いってぇえ!!え、なんで噛んだの?え?なに?」とパニクる旦那。

 

旦那の反応が予想以上にぐっとくるものがあったので、次はテレビの前に体操座りをして「ピューッと吹くジャガー」の1巻を読んだ。

 

「どいてよ…ねぇ…画面見れないとゲームできないんだけど」

 

シカトして3巻まで読んでやった。

 

「なんでなん!!」と私をどかそうとするのでその腕に噛み付いて歯型をつけた。

 

赤ちゃん返り作戦は最強だ。困惑した表情を見せる旦那がおもしろくて、仕事から帰ってくる旦那を玄関で大の字になって迎えたり、「甘いものが食べたいぃいい」と両手両足を全力でバタバタさせて叫んだり。

 

とにかく好き放題暴れることで得られるものは大きかった。

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眠いときには眠いと暴れる。

お腹が空いたら食べたいものを叫びながら暴れる。

むかついたら全力で噛み付く。

 

「女は我慢してあとで爆発するからめんどくさい」と巷の男性は言うけれど、それはごもっともだと思う。

 

我慢していいことなんてない。

受け流そうとしてもできないことなんていくらでもある。

だからって後からそれを掘り起こして旦那に切れるのはナンセンスだ。

 

思ったことは"全力"で伝えないと、そう、"全力"で。

 

ねぇ、きみは私をみてる?

朝起きて顔を洗って寝癖を整える。ズボンを履いてスーツのジャケットに腕を通して、お盆休み開けの憂鬱を目一杯詰め込んだカバンを持って家を出る。

 

「いってらっしゃい」のハグも、「いってきます」のキスも無い。

 

家に帰ってきたときはしおれたきゅうりのような顔。背中から「しんどい」という心の声が聞こえてくる。両手を広げて出迎えると「疲れてるんや。勘弁してくれ」と私を突き放す。

 

ダイニングテーブルの上に並べられた食事をみてため息をつく「今日は魚か…肉がよかった」「俺、玉ねぎ、いややねん」。

 

布団に入るときは私に背を向けて寝る、「おやすみ」のキスもない。

 

仕事を辞めてもうすぐ半年。

 

日中は家の掃除をして洗濯物をして、夕飯とお弁当用の食材を買いに行く。

 

18時になると「そろそろかな」と見ていたワイドショーを消して「昨日はお肉だったから今日は魚にしよう。最近根菜食べてないなぁ…にんじんがあるぞ。でも、にんじんって調理するのめんどくさいんだよなぁ」とぶつぶつ言いながら台所に立つ。

「このおかずでこの前ご飯をおかわりしていたから、今日は多めに炊こう」家に帰って一緒に過ごす時間を楽しみに、帰ってくるときを待っている。

 

「奥さんが専業主婦なのはしんどいよ」元同僚に言われた一言だ。

 

「え?家に帰って奥さんがいたら嬉しくない?」と聞くと言いづらそうに「いやぁ。だって社会とのつながりが俺だけになるじゃない。疲れて帰ってきて手料理を褒めるとか家事に対して感謝の言葉を言うとか、しんどいよね。人間ってやっぱり『認められたい』っていう気持ちがあるからさ、そこをないがしろにすると関係も悪化すると思うんだよね」と答えた。

 

それを聞いたときは「へー私別に平気かも」と流していたが、今は元同僚が言っていたことがよくわかる。

 

専業主婦といえど、フリーでいただいているお仕事がある。

 

でも、ほとんどが家での作業で、仕事が一通り片付いたときに「おつかれ」と言ってくれる人はいないし、悩んだときに「どした」と言ってくれる人もいない。

 

気づけば、家に帰ってくる旦那を待ちわびる単なる寂しさの塊になってしまった。

 

GWやお盆、SWそして正月、彼は長期休みがあけると必ず冷たくなる。

 

今の状態が続くのもそう長くはない。でも、果てしなく長く感じてしまう。

 

普段であれば「今日ゲームするからはよ終わらせてくるわ」と私を抱きしめ「いってきます」のキスをする。お弁当を食べ終えれば「うまかった!ありがとう」とLINEがくる。

 

家に帰れば両手を広げて出迎える私を抱きしめ「今日は何してたん?」と尋ね、ネクタイを外しながら夕食を前にして「上手にできたな、うまそうや!」と笑顔を見せる。

 

食事が終わればふたり並んでバラエティを観て、一緒に布団に入り「おやすみ」と優しくキスをしてくれる。

 

そんな時間がやっぱり恋しい。

 

今の彼をみていると「ねぇ、私はここにいるよ」「私をみてる?」とつい言いたくなる。「2人で心地よく過ごせる環境を私はつくってるよ」って。

 

でも今はそれをぐっと飲み込むんで、眠る彼の背中にそっと頬を寄せて「明日はぎゅーってしてね」と彼には聞こえない声で語りかける。

 

 

きみが考えているのは私のことじゃないんでしょ

忘れられないキスがある。時々思い出して切なくなったり苦しくなったりする。

 

恋愛はめんどくさい、でも、唯一無二な刺激や感動があって私は好きだ。

 

忘れられない人がいる。というより、忘れたくない人がいる。

 

恋愛って相手のことを考えて胸が苦しくなって眠れなくなったり、何をしているのか、何を考えているのか知りたくて、でも知ることはできなくて。

 

「好きだよ」って一言言えればいいのに、それが難しくて。歩く彼の手を取りたいのに、何か壁があるように感じてしまう。

 

恋愛はいつだってそうあってほしい。

 

「彼と同じ空間にいたい」と渇望すること、その熱量で電力を起こせたらいいのにと心から思う。

 

次に会う予定が立つまでの時間は長い、垂れ流しているように過ぎていく時間は「そろそろ話さないと声を忘れちゃうよ」と悲しい気持ちにする。

 

メールの返事が来ない、もう家に帰って布団に入っているはずでしょ…ねぇ、どうしてよ。

なんて小さく丸くなって自分のお腹を撫でる。

 

CRCK/LACKSの「傀儡」に「夢のキスも忘れちゃって どうしようもなく失って」というフレーズがある。

 

会えないのならせめて夢のなかだけでも一緒にいたい、何度そう願ったことだろう。

 

現実で忘れたものは夢のなかに出てこない。

 

声を忘れてしまえばまるで無声映画のよう。

 

彼が何かを言っている。でも、私には聞こえない。字幕もない。

 

もしかしたら「かわいいね」って言っているのかもしれない、いや、「大好きだよ」って言ってるのかもしれない。

 

1つ忘れてしまえば、糸が切れたパールネックレスのように全ての記憶が飛び散っていく。

 

失った記憶はどこへ行き、どこへ向かうのかわからないけど、もうきっと思い出すことはない。

 

酒井順子は「ユーミンの罪」のなかで「ユーミンの歌が抱く助手席性。(中略)私は、この頃から日本の若い女性が「○○をしている男の彼女としての私」という自意識を強く持ち始めたことを示すのではないかと思います」と語ってる。

 

マッチングアプリや結婚相談所とか、恋愛相手と出会う機会はいっぱいある。そして、年収や職業、住んでいるところなど選ぶ基準設定も自由自在。

 

大人の恋愛と経済力は切っても切り離せないものなのは重々わかってる。

 

でも、大人になってもこうやって純粋無垢な、昨日「好き」という気持ちに気づいた子どものように生きたい。

 

傀儡

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