恋愛って消耗だと思ってたけど、結婚のほうが消耗なのかも。いや違うかも。
悲しさや寂しさをセックスにぶつけることは正当なことだと前回のブログで書きました。
なぜ「ヤリマン」と「ビッチ」という単語を引用したかというと、私は女だからです。
ちんこついてないので「ヤリチン」「チャラ男」の気持ちはわかりません、ただそれだけです。
だけど、Twitterで男性の方もRTしてくれたの嬉しかった。てへへ。
まぁ、よくよく考えれば愛情を感じることに男女差なんてないもんな。
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今、私はジョージ朝倉のピース オブ ケイクを全巻一気に読んで悶え苦しんでいます。
もう今夜は眠れないだろうなと思いながら悶え苦しんでいます。
もうただそれだけです。
恋愛を放浪できる人を羨ましいと思う。
「恋愛を放浪できる人」というのは、恋愛自体を楽しめる人のこと。
恋愛を放浪するという言い方を好まない人がいるかもしれませんが、今はこの言葉を受け止めてほしいです。心からのお願いです。
何度もここに書いていますが、私の両親は離婚しています。今の父親は継父です。
母が継父と再婚してから10年後に妹が生まれました。
本当に嫌だった。
継父と母そして私、3人で絶妙なバランスを取って楽しく生活していたのに、継父と母の間に生まれる”正式な娘”。
継父と私は言葉通り血のつながりがない、だから私は”非公式の娘”。
「海賊版DVDみたいだな」、自分は偽物の娘で、継父と母そして妹+私、「どんどん端っこに追いやられていく」と妹が生まれる10ヶ月の間感じていました。
「家族に血の繋がりなんて関係ない」という友人や大人たちからのアドバイスなんて私には生ゴミにティファニーのリボンをつけたぐらいの綺麗事だった。
だから自分の家族がはやく欲しかった。
今まで付き合ってきた人の人数は5本の指でも多すぎる。
理由は簡単で私が求めていたのは「恋愛」ではなく「家族」だったから。
恋愛を楽しめない、というか恋愛は楽しいものではないのです。私にとって。
ピース・オブ・ケイクの主人公の志乃ちゃんは隣人に恋をする。
隣人に思いを寄せているのに同じバイト先の人に酔った勢いでキスをされれば「目先の気持ちよさに…」と自分が快楽を得ていることを受け止め、「どいつもこいつもいっぱいいっぱなんだよっ惑わすことを言うな」と切れる。
隣人の恋人が出ていったことで、志乃ちゃんと隣人は距離が縮まり半同棲へ。
幸せクソ野郎じゃねぇか志乃ちゃん。
私だって過去に恋愛を楽しんでいないわけじゃない。
昔付き合っていた人が浮気をした。
理由は簡単、私がハワイに2週間行っていた間「寂しかった」からだ。
もうこりごりだと思った。
最高の愛情表現「セックス」を私ではなく他の女に与えるのか。
なんだよ、恋愛ってままごとかよ。
相手がいなければ他の穴にテメェの棒をつっこむのかと。
その切なさで恋愛がめんどくさくなった。
漫画の話に戻る。
志乃ちゃんの隣人であり恋人の京志郎、そして出ていった京志郎の元カノがある日突然戻ってくる。
それをきっかけに京志郎は元カノと志乃ちゃんに隠れて会うようになった。
志乃ちゃんは京志郎の帰ってくると即座にお風呂に入ることや、突然現れた京志郎の地元の友達「田中」、「田中」とよく飲みに行くこと。全てを怪しく感じ彼の電話帳に登録されている「田中」に電話する。
出た相手は元カノだった。
それから志乃ちゃんの恋愛放浪は始まる。
「誰でも良かった癖に私じゃなくたって…」と京志郎に吐き捨てた彼女が快楽に身を任せ「誰でもいい」むしろ「何でもいい」状態に落ちていく。
私はそんな勇気がなかったんですよ。
憧れてたけど、消耗して残る結果が怖かったから、志乃ちゃんのような冒険はできなかった。
アウトローなお金の稼ぎ方も、ネカフェに連泊して男とセックスする度胸もなかった。
志乃ちゃんは私のしたかった恋愛をしてる。
ピース・オブ・ケイクを読んで悶え苦しんでいるのはそこだと思う。
終わり方も最高だった。
「恋愛放浪は消耗じゃない、誰にもできない経験なんだ」と胸に杭を打たれ動きたくても動けないような感覚。
もしかしたら結婚のほうが消耗なのかもしれない。
一人の相手と長く一緒にいることでぶつかったり和解したりその繰り返し。
でも、きっと、結婚だって消耗ではなく私と旦那しか、いや、私しか体験できないものなのかもしれない。
「全部いちいち受け止めて そんなめんどくさそうな顔しないで全部こなしてよ!飛び越えてよ!それが京ちゃんが取るべき「態度や行い」じゃないの!?」怒りながら京志郎に怒鳴る志乃ちゃん。
否応無しに”非公式娘”になったことや恋愛よりも家族を選んだこと、現在を私は受け止めて、こなして、飛び越えていかなきゃいけない。
そういうこった。
うん、きっとそういうこと。