恋愛って消耗だと思ってたけど、結婚のほうが消耗なのかも。いや違うかも。
悲しさや寂しさをセックスにぶつけることは正当なことだと前回のブログで書きました。
なぜ「ヤリマン」と「ビッチ」という単語を引用したかというと、私は女だからです。
ちんこついてないので「ヤリチン」「チャラ男」の気持ちはわかりません、ただそれだけです。
だけど、Twitterで男性の方もRTしてくれたの嬉しかった。てへへ。
まぁ、よくよく考えれば愛情を感じることに男女差なんてないもんな。
--
今、私はジョージ朝倉のピース オブ ケイクを全巻一気に読んで悶え苦しんでいます。
もう今夜は眠れないだろうなと思いながら悶え苦しんでいます。
もうただそれだけです。
恋愛を放浪できる人を羨ましいと思う。
「恋愛を放浪できる人」というのは、恋愛自体を楽しめる人のこと。
恋愛を放浪するという言い方を好まない人がいるかもしれませんが、今はこの言葉を受け止めてほしいです。心からのお願いです。
何度もここに書いていますが、私の両親は離婚しています。今の父親は継父です。
母が継父と再婚してから10年後に妹が生まれました。
本当に嫌だった。
継父と母そして私、3人で絶妙なバランスを取って楽しく生活していたのに、継父と母の間に生まれる”正式な娘”。
継父と私は言葉通り血のつながりがない、だから私は”非公式の娘”。
「海賊版DVDみたいだな」、自分は偽物の娘で、継父と母そして妹+私、「どんどん端っこに追いやられていく」と妹が生まれる10ヶ月の間感じていました。
「家族に血の繋がりなんて関係ない」という友人や大人たちからのアドバイスなんて私には生ゴミにティファニーのリボンをつけたぐらいの綺麗事だった。
だから自分の家族がはやく欲しかった。
今まで付き合ってきた人の人数は5本の指でも多すぎる。
理由は簡単で私が求めていたのは「恋愛」ではなく「家族」だったから。
恋愛を楽しめない、というか恋愛は楽しいものではないのです。私にとって。
ピース・オブ・ケイクの主人公の志乃ちゃんは隣人に恋をする。
隣人に思いを寄せているのに同じバイト先の人に酔った勢いでキスをされれば「目先の気持ちよさに…」と自分が快楽を得ていることを受け止め、「どいつもこいつもいっぱいいっぱなんだよっ惑わすことを言うな」と切れる。
隣人の恋人が出ていったことで、志乃ちゃんと隣人は距離が縮まり半同棲へ。
幸せクソ野郎じゃねぇか志乃ちゃん。
私だって過去に恋愛を楽しんでいないわけじゃない。
昔付き合っていた人が浮気をした。
理由は簡単、私がハワイに2週間行っていた間「寂しかった」からだ。
もうこりごりだと思った。
最高の愛情表現「セックス」を私ではなく他の女に与えるのか。
なんだよ、恋愛ってままごとかよ。
相手がいなければ他の穴にテメェの棒をつっこむのかと。
その切なさで恋愛がめんどくさくなった。
漫画の話に戻る。
志乃ちゃんの隣人であり恋人の京志郎、そして出ていった京志郎の元カノがある日突然戻ってくる。
それをきっかけに京志郎は元カノと志乃ちゃんに隠れて会うようになった。
志乃ちゃんは京志郎の帰ってくると即座にお風呂に入ることや、突然現れた京志郎の地元の友達「田中」、「田中」とよく飲みに行くこと。全てを怪しく感じ彼の電話帳に登録されている「田中」に電話する。
出た相手は元カノだった。
それから志乃ちゃんの恋愛放浪は始まる。
「誰でも良かった癖に私じゃなくたって…」と京志郎に吐き捨てた彼女が快楽に身を任せ「誰でもいい」むしろ「何でもいい」状態に落ちていく。
私はそんな勇気がなかったんですよ。
憧れてたけど、消耗して残る結果が怖かったから、志乃ちゃんのような冒険はできなかった。
アウトローなお金の稼ぎ方も、ネカフェに連泊して男とセックスする度胸もなかった。
志乃ちゃんは私のしたかった恋愛をしてる。
ピース・オブ・ケイクを読んで悶え苦しんでいるのはそこだと思う。
終わり方も最高だった。
「恋愛放浪は消耗じゃない、誰にもできない経験なんだ」と胸に杭を打たれ動きたくても動けないような感覚。
もしかしたら結婚のほうが消耗なのかもしれない。
一人の相手と長く一緒にいることでぶつかったり和解したりその繰り返し。
でも、きっと、結婚だって消耗ではなく私と旦那しか、いや、私しか体験できないものなのかもしれない。
「全部いちいち受け止めて そんなめんどくさそうな顔しないで全部こなしてよ!飛び越えてよ!それが京ちゃんが取るべき「態度や行い」じゃないの!?」怒りながら京志郎に怒鳴る志乃ちゃん。
否応無しに”非公式娘”になったことや恋愛よりも家族を選んだこと、現在を私は受け止めて、こなして、飛び越えていかなきゃいけない。
そういうこった。
うん、きっとそういうこと。
セックスで愛情を感じる人をあなたは「ヤリマン」「ビッチ」と呼ぶのですか。そうですか。
今日こんなツイートをした。
子どもって「素直さ」のかたまりで「肌のふれあい」が愛情だと認識する。それってぶっちゃけ大人になっても変わらないものだと私は思うので、愛情を感じるためにセックスをする人を「ヤリマン」とか「ビッチ」なんて言葉で表現するのは違うと思う。
— えるあき (@elleaki1990) 2017年5月15日
セックスについてよく考える。
結婚して1年と少し、世間では「新婚」という部類にいれられているけど、長く付き合っていたので俗に言う「新婚感」は皆無だ。
セックスだって億劫になってきている。でも、わたしは悲しいことに「愛情」の9割をセックスで感じる。
中学高校を女子校で過ごした。友達と手を繋いで校舎を歩いたり、「おはよう」と挨拶するときは友達のおっぱいを鷲掴みにしてた。
休み時間は座っている友達と椅子の背もたれの間に割り込み、友人の背中に顔をスリスリしてた。
ずっと女子校特有の出来事とか、少人数制の学校でみんなが仲良かったからとか大したことだとは思っていなかったけど、それらの行為はすべて「安心」を得るためのものだったと振り返れば思う。
今日、さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポを読んだ。生きづらさを感じ、自分を開放するためにレズ風俗に行くことを選んだルポ漫画。
そのなかにこんな言葉があった「抱きしめられれば全て満たされ 全て癒されると思っていた」。
おっしゃるとおりだった。
彼女はレジ打ちのバイト中に「もう誰でもいい、1秒でも2秒でも抱きしめてほしい」と思ったり、精神科でもカウンセリング中に「もうそんなのいいから抱きしめろ!!」と思ったりしたそうだ。
私も同じだ。
母はいつだって抱きしめてくれた。叱ったあとは私を強く抱きしめ「でも、大好きだよ」と囁いてくれた。
友人たちもいつだって抱きしめてくれた。「はいはい、大丈夫」なんて言いながら。
だから私のなかで触れ合いは「自己承認」。
セックスは肌と肌がこれでもかと重なる。人の身体の一部が自分の身体の中に入ってくる。物理的も精神的にも満たされる瞬間が続く。
こんなに幸せなことなんて他にはない。
毎日セックスしなくてもいい、でも、毎日私に触れてほしい。
だから、寝る前は旦那にお腹を触ってもらうようにお願いする。おしりを触ってもらうようにお願いする。
それだけで幸せな気持ちで1日が終わる。
ドイツ人の発達心理学者のエリク・エリクソンは「信頼」についてこう語っている。
「母子一体としているときに、その一体感がしっくりくればくるほど、十分であればあるほど、子どものなかに人を信じる豊かな信頼感が身についてくる」(エリクソンとの散歩より)
発達心理学には「愛着(アタッチメント)」という言葉がある。
これは授乳を通して得る安心感や、泣いたときに抱きしめてもらうことによって愛情を体感することだ。
簡単にいうと、乳児は愛情を体感すればするほど人を信頼できるようになるということ。
それは、肌と肌の触れ合いは信頼関係を築くもので愛情を感じるということ。
保育士をしていた3年間。私はとにかく子どもとの触れ合いを大切にした。叱った分だけ抱きしめて、褒めた分だけ抱きしめた。
でも、それは一周回って自分のためだった、私のことを信頼してほしいという気持ちをあったし、子どもたちに愛されたいという気持ちもあった。
愛情を感じる方法はいくつもある。「愛してるよ」と言葉で満足できる人もいれば、プレゼントをもらって愛情を感じる人もいる。そして、セックスを通して愛情を感じる人もいる。
おかざき真里の 「&(アンド)」で主人公が付き合っている彼氏(医者)とセックスをしている場面、「先生が私のなかで気持ちよくなるのが嬉しくて」と心の声を漏らす。
私も同じ、自分が気持ちよくなることはさておき相手がイクことで心が満たされる。
彼氏が自分の過去を回想する場面では「身近な方が『触って』あげるだけでずいぶん平時の精神安定になるんですよ」と鬱になった恋人?(5巻までしか読んでないので関係性は不明)に触れることを医師から勧められていた。
不安なときに手を差し伸べてくれる誰か、抱きしめてくれる誰かをきっとみんな欲してる。
愛情を求めて、安心感を求めてするセックス。
私は三大欲求のなかで性欲を1番大事なものだと思ってる。
だって、相手とフェアに愛情や安心感を得られるから。
「ヤリマン」や「ビッチ」とか、不特定多数の人とセックスする人の名称は色々あるけど、そう呼ばれる人は誰よりも素直に愛情、安心感を求めている人だと思う。
だから、愛情を求めて旅する彼らをそういった言葉で一括りにするのは好きじゃない。
GWから旦那との関係は悪化している。口を開けば喧嘩になる。ここ数日彼はベットを占領し、私はソファで丸くなって寝ている。
「いつ彼は私に触れてくれるんだろう」そう思いながら今夜も丸くなって自分で自分のお腹を触るんだ。
ポジティブをこじらせて
どうでもいい話ですが、一昨年の3月に保育士を辞めて転職、今年の4月からニートになりました。
1年で会社を辞めました。
理由は色々ありますが、一言で言うと「ポジティブをこじらせたから」です。
雨宮まみさんの「女子をこじらせて」から「こじらせ女子」という言葉が生まれました。
私の場合は「ポジティブ」をこじらせてしまったようです。
いつからかわかりませんが、何が起きてもポジティブに考えるようにしていました。
失敗しても「これが学びになる!」とか、嫌いな人がいても「嫌いな人は私の鏡だから、いいところをみないと」とか。
でも、実際はかなりの根暗なので失敗すると「なんでこんなに私はダメな人間なんだ」とか嫌いな人がいると「嫌いな人は私の鏡だから私も嫌われているんだ」と考えてしまいます。
私はかなり極端な性格なので、12000%のポジティブ思考「やっべー私ゼウス!!」と12000%のネガティブ思考「私なんて水下痢にもなれない」と程よい思考ができないんですよね。
さらにしんどいのはこの落差の激しい思考が常に頭の中でシーソーしていること。
保育士から会社員に転職して数ヶ月、何もできない自分がいました。
でも、ポジティブに「今が学びのとき!」「数ヶ月経てば神がかった技を発揮するんじゃ私は」と考え乗り越えようとしても、「はぁ、またダメだ。なんでこんなポンコツなんだよ」「きっと周りの人みんな私の退職を望んでいる」とブラックな言葉が頭の中を駆け巡るんです。
それから、数ヶ月経っても、私は残念ながら何も成長できていませんでした。
でも、ポジティブな思考は止まってくれません。「大丈夫、大丈夫。まだまだこれからだよ」「みんな同じように壁にぶつかるから、こっから頑張れ!」「なんでもできるさ、やっほい!やっほい!」。
そして、ブラックな思考も止まりません。「会議で口を開けばみんなが嫌な顔するから黙っていないとダメだ」「ほら、どんどん必要無い人間になってる」「給料泥棒だよこんなの」。
気づけば、大きな円形脱毛症がいくつもでき、毎晩22時きっかりに蕁麻疹が出るようになりました。
そして、会社のトイレから出られなくなりました。
今考えれば理由は簡単で、ポジティブな考え方とネガティブな考え方のギャップが大きすぎたせいです。
友人や家族に悩みを打ち明けても「ポジティブに考えないとダメだよ〜」と言われます。
私も今までそうやって人にアドバイスしてきた。
「ポジティブに考えよう」という気持ちが大きくなればなるほど自分への期待も膨らみ、望んでいた結果がでなかったときには奈落の底に落とされる。
その繰り返しが身も心も蝕んでいくことがわかりました。
ポジティブ思考も大事だけど、ポジティブ思考を頑張ることは大事じゃない。
ポジティブ思考を頑張り続けると、くるっと回転してネガティブ思考が強くなる。
「退職してよかったよ」と考えると同時に「ほらやり遂げられなかった。私には無理だったんだ」とブラック思考の比重が上がっているのが現状。
就職しようにも勇気が出せないでいます。
私が会社にいることで迷惑をかけてしまうんじゃないか。
「努力しよう!」という気持ちよりも人に対する恐れしか今はないので、もうすこしおちついたらまた頑張ります。
何が言いたいかって、ポジティブ思考はほどほどに。
マライア・キャリーは「迷い牛」
マライア・キャリーの名曲は「恋人たちのクリスマス」でも「ヒーロー」でもない。
ーー
先日、母が昔の恋人と26年ぶりに再会した。
飛び乗った電車に偶然その人がいたと言う。
私は昔からよくその人について話を聞かされていた。
その度母はこういう「彼の存在が私の人生の大きな基盤。だから、彼無しでは語れない」。
そして、母は「昔の恋人との再会が過去の清算に繋がった」と笑顔をみせてくれた。
--
いくえみ綾の漫画「あなたのことはそれほど」に1人の占い師が登場する。
結婚に対して淡い夢を持つ主人公に対して「幸せになりたいのなら2番目に好きな男と結婚しなさい」と語る。
母と同様に、私にだってその人無しには自分の人生を語れないと言える存在がいた。
去年の10月、4年ぶりに私は彼と再会した。
地元の友人が集う飲み会。2人で話す時間はあったけど、まったく清算されなかった。
--
彼と出会ったのは14歳のとき。
話しているうちに「親の離婚」、「親の再婚」、「腹違いの兄弟」など、共通するところが多い。
耐えられないほどの孤独感に殺されそうな思春期。
そんなときに一緒に過ごす関係だった。
夜中に電話がくれば家を抜け出し自転車で会いにいく。
彼は恋人が切れることなく色々な女の子と付き合っていた。
買い物にいったり映画を観たり、そんなデートは一度もしたことはない。
手を繋ぐことやセックス、楽しい時間を過ごすのは彼女の仕事だ、私じゃない。
でも、別によかった。
必要なときには私に電話をくれる。私が電話をすれば駆けつけてくれる。
それだけで幸せだった。
--
ある日ラジオからマライア・キャリーの「Always Be My Baby」が流れてきた。
"You always part of me.I'm part of you indefinitely"
彼を取り巻く女の子たちが陽ならば、私は陰でいいと思っていたし、孤独を支える人間のほうが重宝される。
「お互いの孤独を埋めあって生きてる」、そんな私の気持ちを底上げしてくれたのはこの箇所だった。
"we were as one,babe.For a moment in time.And it seemed everlasting. that you would always be my babe"
マライアの歌詞だと関係性は終わっているけど、私たちは終わらない。
--
恋愛が怖かった。
恋愛は必ず終わりがくるものだから。
「終わりがくるのは困るから、彼氏とか彼女とかそんなもんじゃなくてこのままがいいよ」
マライアはこう歌う"our love will never die"。
このままずっと一緒にいれるんだと、お守りのようにこの歌を聞いた。
もし私がカセットテープでこの曲を聴いていたのなら、とっくに擦り切れてもう聞けないテープが何本も机のうえにあっただろう。
聞けないのに捨てられない。
彼との関係もそうだった。
--
今朝、電車で移動中、音楽を聴こうとSpotifyを起動させた。
適当なプレイリストを再生して漫画を読んでいたら聞き慣れたイントロが流れた。
「Always Be My Baby」だった。
「懐かしい。この曲を最後に聴いたのはいつだろう」と記憶を遡ると、彼の顔が頭に浮かび、思い出そうにも思い出せなかった声まで蘇ってきた。
思わず電車の中で「死にてぇ!」と呟いてしまった。
--
10月、いつもならスルーするはずの飲み会に参加したのは、彼と再会するためだった。
彼とは別の人と結婚したし、すっきりした気持ちで結婚生活を過ごしたかった。
でも、どうして精算できなかったんだろう。
「Always Be My Baby」を聞きながら、走馬灯のようによぎる思い出に浸りながら、電車のなかで考えてみた。
始まってないものには終わりはない。
ただそれだけだった。
--
時間がいくら過ぎてもマライア・キャリーの歌声で”あの頃”に連れ戻されてしまう。
そして、あのときに勇気を出さなかった自分を責める。
きっと私はこのままずっとこういう気持ちでいるのだろう。
でもね、旦那の顔をみれば私の迷子は解かれる。
「そうだ、私は彼だから勇気を出して始めることができたんだ」って。
Mariah Carey - Always Be My Baby
いじめっ子と再会したら感謝したくなったはなし
小学校の3年生から高校までなんやかんやずっといじめの対象になってた。
今思えば、一緒に居づらい子どもだったんだろうなとは思う。
中学から入った女子校ではシカトされたり、くそビッチだのヤリマンだの言われた。
でも、高校に上がるころには向こうのほうがくそビッチだったしヤリマンだった。
大好きだった部活もいじめっ子のせいで辞めざるをえず、中3で退部した。
高校になると別のいじめっ子の標的になった。
仲良くしてくれてるんだと思えば帰り道に
「みんなあんたと一緒にいたいなんてこれっぽっちも思ってないんだから、私に感謝したほうがいいよ」
「そうやってビクビクしてるのとかウザいんだけど」
「○○ちゃん、毎日あんたに付きまとわれてかわいそうだってみんな言ってる」
とほぼ毎日のように駅のホームで反省会があった。
私は勉強がほんとに苦手だったのに、母親の後輩になりたいとう意味不明な気持ちを抑えられず一般入試を選んだ。
そこまで進学校ではないにしろ、7割以上の子たちは指定校推薦で名前が通る女子校に行く。
そんななかで勉強できない私が指定校推薦を蹴って一般入試を選んだことは最高のネタだった。
「え、なに受験すんのwうける」
とにかく学校には行きたくなかった。でも、母親の後輩になることに異様な固執をしていたので、一般入試目指して勉強に励んだ。
結果は惨敗。
滑り止めの滑り止めに通うことが決定し、「大学名を言ったら絶対にまたなんか言われるんだ」と頑なに進学先を言おうとはしなかった。
あれから8年?7年経って、友人が企画した忘年会兼同窓会に行ってきた。
「あの子もくるかな…」と内心ビクビクしながらも「大丈夫、大丈夫、私はクールビューティ」と謎の呪文を唱えながら会場へ向かった。
会場に到着するなり、同級生たちが
「あきちゃん、元気?髪型うけるんだけどw刈り上げやば〜い」と声をかけてくる。
「あはは、ありがとう!」なんて言いながら親友を探す。
親友が私を見つけ手を振ってくれたので、隣に座ると近くにいじめっ子たちが座っていた。
「おい、なんでこんな場所に座るんだてめぇ…」と半ギレすると親友は綺麗な歯茎を見せて私に微笑み返した。
会話をしないのも変なので、ライターの火をかりるために反省会主催者に話しかけてみた。
気づけば2時間経ってた。
いじめっ子たちは全然怖くなかった。
心なしか小さく見えた。
彼女たちが怖くて怖くてちいさくなって、ピエロのように笑わせたり、ご機嫌をとるために必死に漫画を学校へ運んだり…もうそんなことはしなくていいんだ。
もう高校生じゃないのに、なんだかほっとした。
泣きながら帰ったことも、先生に相談したけどなにも変わらなかったときに感じた落胆も、もうそんなことは経験しなくていい。
今はもう肩を並べて楽しくタバコを吸いながらカルピス片手に談笑してる。
今では仕事合間のランチだってするようになった。
気づけばみんな大人になる、いじめっこはいじめている自覚なんてないから、辛い思いをするのはいつだっていじめられっ子だ。
でも、私は彼女たちのおかげでいじめられっ子の気持ちがわかる。
これはきっと何事にも変えられないぐらい貴重なものだ。
そう考えると感謝しかないね。
「もうこわくないよ、ビクビクしなくて大丈夫」
15歳の自分に何か言える機会があるなら、そう言ってあげたい。
寝れない夜に結婚について考えてみた
25歳から26歳になって4時間が経とうとしています。
ちなみに26年前の午前4:00、私はまだ産まれていません。
はい、どーでもいいー
とりあえずステロイドの副作用で頭痛がすごいんだわ。
もう偏頭痛が5日間続いている。
ロキソニンもアスピリンもまったく効いてくれないので、ここ数日睡眠薬を飲んでる。
今夜は睡眠薬を飲み忘れたので痛くて寝れない。
はい、結婚と関係ない〜
25歳の誕生日に長く付き合ってた人からプロポーズな一言をいただき3月に入籍しました。
そのとき「は〜恋愛から解放される〜」と自由を感じたことを強く覚えています。
交際期間中は「私この人といつまでいるんだろ」「こいつ私とどうなりたいんだろ」なんてことをよく考えてました。
とはいえ「結婚したい」とはあんまり思ってなかった。
私の母は私の父親と離婚して、バツイチ同士で再婚しています。
だから、「結婚して離婚すんのってめんどいんだな」とか「てか、結婚って何回してもいいのか」とか、結婚に対してあまり「夢」がなかったんすよ。
だから「結婚しよう」と言われたときに「離婚届も一緒に書こう」と提案しました。
彼も「そうだな、2枚書いてお互い持ってよう」と快諾してくれた。
周りの友達を見ていると、相手に対する条件が多かったり、結婚に夢を持ってていいなぁーと思います。
相手に条件を求めるということは、「自分も同じだけ求められていい」と私は理解するのでその懐のでかさと、「結婚」に夢を持てるように育った環境が羨ましいと思う。
先日そんなことを考えていたら、スプツニ子さんの結婚生活についてのインタビューをTOFUFUで発見しました。
そこでスプツニ子さんが「寿命あるのに永遠の愛なんて誓えない」と話していて「ほんまやで」と思った。
愛なんてよくわからないものを結婚前に誓えるってすごい。
誓ったから愛し続けないといけないなんて足枷じゃない。
私には耐えられないんだ、そういうの。
よく「なんで若くして結婚したの」と聞かれますが
・同棲解消がめんどくさかった
・「恋愛ってめんどくさい」そこから逃げたかったから
・世界で1番綺麗な鼻を手放したくなかった
こんなもん、愛とか恋とかそんな「ふわふわ」したもんじゃなくて業務遂行のための過程という感じです。
ありがたいことに彼は世界で1番綺麗な鼻を持っています。
私が彼と一緒にいる理由はたった1つ。
「世界で1番綺麗な鼻を独り占めしたい」
ほんとにこれだけ。
結婚ってそんなもんだと思うよ。
とてもどうでもいい話なのですが、4才児7人に完敗しました。
前々回にアップしたブログにどれだけ教え子のことを愛していたかを書きました。
21歳の私と7人の0歳児、別れるときには25歳と3歳児になっていました。
大人にとっての3年間はあっという間の時間だけど、0歳児にとっては人生で一番頑張る時間です。
寝たきりの状態から歩くようになり、自分の気持ちを伝える手段が泣くことだけだったのに、言葉や体を使って自分の気持ちを表現するようになります。
21歳の私は3年経っても大した変化は無く、しいていうなら実家を出て同棲をはじめたぐらいです。
そんなことを考えていた最終出勤日。私は「次会うときにまでに、彼らに負けないぐらい私も成長しよう」と心に決めました。
それから、慣れない仕事に食らいつきハゲました。でっかい円形脱毛症ができたんです。
そして今日は運動会、子どもたちとの勝負の日です。
「こっちはハゲるまでやったぞ、成長の実感はないけどな!」と風を切って会場へ向かい、「お前らの成長を見せてみろ」と偉そうに最前列に着席しました。
お遊戯の曲がかかり、子どもたちの入場がはじまった瞬間、一番うしろの席に移動しました。
だって涙が止まらなかった。
最前列にドヤ顔で座っていたのに泣き出した自分が恥ずかしかった。
あーこんなに大きくなるんだ。
去年は整列も自分たちでできなかったのに、今は笛の合図で動けるんだ。
去年は立ち尽くしてたのに、笑顔で堂々と踊れるんだ。
顔が崩れてそばにいた保護者に「ちょっと、泣きすぎじゃない!」とティッシュを手渡されるほど感動して泣いてしまった。
お遊戯が終わって子どもたちに逢いに行くと
「おどってるときに、あきちゃんのこと見つけたんだよ〜」
「お仕事お休みしたの?ありがとう!」
「上手にできたでしょ〜とっても楽しかったよ」
と笑顔で話す彼らに頭が下がる思いだった。
これは完敗。
同じ土俵にすら立ててない自分に気づいたと同時にこの子たちの担任ができて本当によかったなと痛感しました。
泣きじゃくる私をみた1人の保護者が「あきちゃんが3年間しっかり愛してくれたおかげだよ〜」なんて言ってくれたのにさらに涙してしまった。
今回は完敗だったけど、いつか「あきちゃんすげぇ」と言わせてやるんだ。
だって、彼らを育てたのは私だし、私のほうが大人だし、人生経験豊富だし。
とにかく負けるわけにはいかない。
今にみてろよ!!