25年前にトイレのドアとなった父へ
2歳のときに両親が離婚した。
それ以来父親とは一切会ってはいない。
私の記憶のなかにある最後の父の姿はトイレのドアだ。
「これがお父さんと会う最後だから」と母は小さな私の手を握って少し前まで家族3人で暮らしたマンションの一室、重みのあるドアを開けた。
「お父さん!」ドアが開いた瞬間私は勢いよく思い出の詰まった部屋に入った。
しばらく会っていなかった。どのぐらい会っていなかったなんて覚えていない。でも、「会いたい」と強く思っていたことは覚えてる。
きっと奥のリビングにいるだろう、「お父さん!」と呼びかけながら探す。
リビングの扉の手前、寝室のドアからお父さんがでてきた。
とても嬉しかった。
「お父さん、ぎゅーってしてよ」そう言いかけたとき、父は私に背を向けて向かいにあるトイレに入った。
「お父さん!」
「お父さん!!」
「肩車してよ!」
「会いたかったよ!!」
トイレのドアに向かって私は叫び続ける。
「お父さん!トイレ終わったらぎゅーってして!」そう叫んだ直後、母は私を抱えてマンションを去った。
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あれから25年の間、誕生日が来るたび「今年はお父さんから連絡が来るかもしれない」と期待し、進級、進学をするたび「お父さんからお祝いの連絡がくるかもしれない」と期待した。
でも、そういった期待は木っ端微塵に砕け散るだけだった。
「期待は絶望への近道」、そうわかっていても毎年決まって期待し、連絡がこないことに落ち込む小さな私を「大丈夫だよ」と抱きしめた。
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6歳のときに新しい父親が現れた。
お父さんと同じように大きくてお腹が出てて、とても優しい人。
パパと呼ぶのが恥ずかしくて「パパちゃん」と呼び始めた日のことはまるで昨日のことのようだ。
そんな継父と親子関係なって今年で丸20年。
彼は出会った日から結婚して家を出た今だって、変わらぬ愛を私に注いでくれている。
でも、やっぱり、なにか欠けているんだよ。
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実父とは2、3年の付き合いだったけど、継父とは20年の付き合いだ。
たくさん一緒に笑って喧嘩もした。「なんでこんなことしてしまったんだろう」と後悔するほど傷つけるようなこともした。でも、変わらずに私を愛してくれる。
私がこうしたいと言えば、「そう思うならやってみれば」と笑顔で背中を押してくれる。とても寛大な人だ。
でも、やっぱり実父に愛されたという何かが欲しい。
そして、そう感じるたび母親は継父に対する後ろめたさがあった。
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授業中や移動中、ふと頭に「トイレのドア」が頭をよぎる。
そのたび、心のなかにいる2歳の私はずっと薄暗い箱のなかで小さくなって自分を責める。
「私のなにがいけなかったんだろう」
「顔も見たくなくなるほど私は悪い子だったのか」
もういい加減そんな自分を解放してあげたい。
そう思いインターネットの力を借りて、父親を見つけ出したのが今年の3月。
予想より早く見つかり仲介者からメールアドレスを受け取った。仕事そっちのけでメールの文章を考えて勇気を出して送信ボタンを押した。
数日待っても返事は来なかった。
「あぁ、やっぱり私の存在はなかったことにしたいんだ」と心のなかの小さな私は声を殺して泣いていた。
26歳の私はそんな姿をみて立ち尽くすしかなかった。
その後仲介者から「メールの送信が上手くいかないため電話して欲しい」と実父の電話番号が送られてきた。
恐る恐る電話をかける。
「もしもし…?」聞き覚えのある声だった。
泣きながら応答するだろうと予想していたのに「あ、もしもし私だけど元気?」と返事をした。
それから10分ほど話し、9月14日から実父が住んでいる中国・大連に行くことが決まった。
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嬉しいようで嬉しくない。
どんな人なのか、今どんな生活をしているのかまったくわからない。
なによりも、今の私を見て彼が後悔するのではないか…という不安で胸が張り裂けそうだ。
この25年間、それなりに悪いこともしたし、人もいっぱい傷つけてきた。
高校の現代史のテストでは「EU連合」を間違えて「ヨU連合」と書いたし、数学のテストの点数はいつだって一桁だった。
泥酔すれば友達の眉毛を剃り落とし、シリアルナンバー入りのジッポをその辺の植木鉢に植えたり、友達を殴ったりもした。
でも、私はたくさんの人に愛されてきたはず。
いろんな人に救われて25年間生きてきた。
それは何事にも変えられない事実だ。
でも、長い時間離れていた娘、当時2歳だったはずの娘は今では26歳、そんな時空を飛び越えて現れたような娘の私を父は受け入れてくれるのだろうか。
大連行きが決まってから、今まで無い緊張感にずっと襲われている。
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お父さん、お願いだから2歳で止まっている心の中の私を救って欲しい。
もし罪悪感を感じているのなら、私がそれを拭うから。
お父さん、やっとトイレから出てきてくれるんだね。
もう肩車をするのは難しいと思うけど、私を抱きしめてね。
「赤ちゃん返り」で旦那を動かすことのすゝめ
「赤ちゃん返り」、それは2人目を授かったお母さんたちが悩む大きな壁。
今まで世界の中心が自分だと思っていた子どもがその中心が弟や妹にズレていくことに耐えられず起こす行動を「赤ちゃん返り」と呼ぶ。
世間で赤ちゃん返りと呼ばれるものは「ご飯を一人で食べられなくなった」とか「突然赤ちゃんのようにアバアバ言い出した」など。
でもな、保育士は「赤ちゃん返り」の天才なんだよ。
そのへんの幼児よりもエクストリームな赤ちゃん返りをいつでも発動できるんだよ。
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保育士をしていた3年間。およそ30人の乳幼児と関わった。
「どう大人を懲らしめてやろうか」ということで頭がいっぱいな2歳児の担任もした。
やつらはそのへんのヤンキーよりも恐ろしくお散歩中は「歩かない」と座り込み、放置するとこれでもかと泣き叫ぶ。
お腹が空いているはずなのに「絶対食べない」と頑なに口を閉じ「じゃあ、食べ終わるまでそこにいなさい」と言えば何時間も座っている。しかも気づくと寝てる。
何度「こいつら…」とイライラしたことだろう。
旦那は朝8時過ぎに出勤して残業して帰ってくる。でも、前職は時間が読めない特殊な仕事だった。
そんな結婚前、一緒にいる時間もマンネリ化して日に日に「こいつ私の扱い雑だな」と感じる時期があった。
ゲームをすれば何時間もかまってくれない、ゲームが終われば「疲れた」と言って布団に入る。
そこで閃いたのが「赤ちゃん返り」だった。
私にはやつらのデータ全てが頭に入っている。これは必殺技になるな!と保育士資格を取った自分をたくさん褒めた。
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「なんとかしてこいつのことを困らせてやろう」頭のなかで当時担任していた子どもたち、どこの子を憑依させて戦うかを必死に考えた。
一人噛み癖のある子がいたので「とりあえず身体的ダメージだ」と思いゲームに集中している旦那の肩を思いっきり噛んでやった。
「いってぇえ!!え、なんで噛んだの?え?なに?」とパニクる旦那。
旦那の反応が予想以上にぐっとくるものがあったので、次はテレビの前に体操座りをして「ピューッと吹くジャガー」の1巻を読んだ。
「どいてよ…ねぇ…画面見れないとゲームできないんだけど」
シカトして3巻まで読んでやった。
「なんでなん!!」と私をどかそうとするのでその腕に噛み付いて歯型をつけた。
赤ちゃん返り作戦は最強だ。困惑した表情を見せる旦那がおもしろくて、仕事から帰ってくる旦那を玄関で大の字になって迎えたり、「甘いものが食べたいぃいい」と両手両足を全力でバタバタさせて叫んだり。
とにかく好き放題暴れることで得られるものは大きかった。
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眠いときには眠いと暴れる。
お腹が空いたら食べたいものを叫びながら暴れる。
むかついたら全力で噛み付く。
「女は我慢してあとで爆発するからめんどくさい」と巷の男性は言うけれど、それはごもっともだと思う。
我慢していいことなんてない。
受け流そうとしてもできないことなんていくらでもある。
だからって後からそれを掘り起こして旦那に切れるのはナンセンスだ。
思ったことは"全力"で伝えないと、そう、"全力"で。
ねぇ、きみは私をみてる?
朝起きて顔を洗って寝癖を整える。ズボンを履いてスーツのジャケットに腕を通して、お盆休み開けの憂鬱を目一杯詰め込んだカバンを持って家を出る。
「いってらっしゃい」のハグも、「いってきます」のキスも無い。
家に帰ってきたときはしおれたきゅうりのような顔。背中から「しんどい」という心の声が聞こえてくる。両手を広げて出迎えると「疲れてるんや。勘弁してくれ」と私を突き放す。
ダイニングテーブルの上に並べられた食事をみてため息をつく「今日は魚か…肉がよかった」「俺、玉ねぎ、いややねん」。
布団に入るときは私に背を向けて寝る、「おやすみ」のキスもない。
仕事を辞めてもうすぐ半年。
日中は家の掃除をして洗濯物をして、夕飯とお弁当用の食材を買いに行く。
18時になると「そろそろかな」と見ていたワイドショーを消して「昨日はお肉だったから今日は魚にしよう。最近根菜食べてないなぁ…にんじんがあるぞ。でも、にんじんって調理するのめんどくさいんだよなぁ」とぶつぶつ言いながら台所に立つ。
「このおかずでこの前ご飯をおかわりしていたから、今日は多めに炊こう」家に帰って一緒に過ごす時間を楽しみに、帰ってくるときを待っている。
「奥さんが専業主婦なのはしんどいよ」元同僚に言われた一言だ。
「え?家に帰って奥さんがいたら嬉しくない?」と聞くと言いづらそうに「いやぁ。だって社会とのつながりが俺だけになるじゃない。疲れて帰ってきて手料理を褒めるとか家事に対して感謝の言葉を言うとか、しんどいよね。人間ってやっぱり『認められたい』っていう気持ちがあるからさ、そこをないがしろにすると関係も悪化すると思うんだよね」と答えた。
それを聞いたときは「へー私別に平気かも」と流していたが、今は元同僚が言っていたことがよくわかる。
専業主婦といえど、フリーでいただいているお仕事がある。
でも、ほとんどが家での作業で、仕事が一通り片付いたときに「おつかれ」と言ってくれる人はいないし、悩んだときに「どした」と言ってくれる人もいない。
気づけば、家に帰ってくる旦那を待ちわびる単なる寂しさの塊になってしまった。
GWやお盆、SWそして正月、彼は長期休みがあけると必ず冷たくなる。
今の状態が続くのもそう長くはない。でも、果てしなく長く感じてしまう。
普段であれば「今日ゲームするからはよ終わらせてくるわ」と私を抱きしめ「いってきます」のキスをする。お弁当を食べ終えれば「うまかった!ありがとう」とLINEがくる。
家に帰れば両手を広げて出迎える私を抱きしめ「今日は何してたん?」と尋ね、ネクタイを外しながら夕食を前にして「上手にできたな、うまそうや!」と笑顔を見せる。
食事が終わればふたり並んでバラエティを観て、一緒に布団に入り「おやすみ」と優しくキスをしてくれる。
そんな時間がやっぱり恋しい。
今の彼をみていると「ねぇ、私はここにいるよ」「私をみてる?」とつい言いたくなる。「2人で心地よく過ごせる環境を私はつくってるよ」って。
でも今はそれをぐっと飲み込むんで、眠る彼の背中にそっと頬を寄せて「明日はぎゅーってしてね」と彼には聞こえない声で語りかける。
きみが考えているのは私のことじゃないんでしょ
忘れられないキスがある。時々思い出して切なくなったり苦しくなったりする。
恋愛はめんどくさい、でも、唯一無二な刺激や感動があって私は好きだ。
忘れられない人がいる。というより、忘れたくない人がいる。
恋愛って相手のことを考えて胸が苦しくなって眠れなくなったり、何をしているのか、何を考えているのか知りたくて、でも知ることはできなくて。
「好きだよ」って一言言えればいいのに、それが難しくて。歩く彼の手を取りたいのに、何か壁があるように感じてしまう。
恋愛はいつだってそうあってほしい。
「彼と同じ空間にいたい」と渇望すること、その熱量で電力を起こせたらいいのにと心から思う。
次に会う予定が立つまでの時間は長い、垂れ流しているように過ぎていく時間は「そろそろ話さないと声を忘れちゃうよ」と悲しい気持ちにする。
メールの返事が来ない、もう家に帰って布団に入っているはずでしょ…ねぇ、どうしてよ。
なんて小さく丸くなって自分のお腹を撫でる。
CRCK/LACKSの「傀儡」に「夢のキスも忘れちゃって どうしようもなく失って」というフレーズがある。
会えないのならせめて夢のなかだけでも一緒にいたい、何度そう願ったことだろう。
現実で忘れたものは夢のなかに出てこない。
声を忘れてしまえばまるで無声映画のよう。
彼が何かを言っている。でも、私には聞こえない。字幕もない。
もしかしたら「かわいいね」って言っているのかもしれない、いや、「大好きだよ」って言ってるのかもしれない。
1つ忘れてしまえば、糸が切れたパールネックレスのように全ての記憶が飛び散っていく。
失った記憶はどこへ行き、どこへ向かうのかわからないけど、もうきっと思い出すことはない。
酒井順子は「ユーミンの罪」のなかで「ユーミンの歌が抱く助手席性。(中略)私は、この頃から日本の若い女性が「○○をしている男の彼女としての私」という自意識を強く持ち始めたことを示すのではないかと思います」と語ってる。
マッチングアプリや結婚相談所とか、恋愛相手と出会う機会はいっぱいある。そして、年収や職業、住んでいるところなど選ぶ基準設定も自由自在。
大人の恋愛と経済力は切っても切り離せないものなのは重々わかってる。
でも、大人になってもこうやって純粋無垢な、昨日「好き」という気持ちに気づいた子どものように生きたい。
悔しいけど大人になってよかったと思う
「子どもでいたい ずっと トイザらスキッズ 大好きなおもちゃに囲まれて 子どもはトイザらスキッズ」
今年27歳になる。年なんてとりたくなかった、ずっとこの歌のように子どもでいたかった。
レゴやトミカ、プラレール、大好きなおもちゃに囲まれてずっと子どもでいたかった。
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小学校から大学を卒業するまで、学校が本当にいやだった。
中高は私立女子一貫校で一学年100人にも満たないほど少人数。
噂は一瞬で周り一瞬で消える。人数が少ないせいかスクールカーストは一目瞭然。
私の性格のせいなのか、ADHDだかなのか、学習障害なのか、理由はわからないけどずっといじめられたり、スクールカーストに押しつぶされた。
「誰かここから私を出してくれ」と6年間ずっと心の中で叫び続けてた。
そんなとき、14歳の夏をイギリスで過ごした。
世界中から集う同じ世代の子たち。
人種、性格、思想、全部違うことが前提で「英語」というツールを使ってコミュニケーションを取る楽しさ。
トラブルはあったけどいじめなんてもちろん無いし、本当に幸せだった。
帰国前日は嗚咽が止まらなくなるほど泣いてスーツケースを窓から投げた。
成田までのフライトは「このままトイレにいたらイギリスに戻れるんじゃないか」とトイレに篭り続けた。
高校を卒業後、いじめとは無縁になった。
でも「学校」を窮屈に感じるのは変わらなかった。
年齢でまとめられること、思ってもないことに打つ相槌、全部がいやだった。
学校にいる時間を少しでも減らしたくてインターンを始め、自分の時間は大人と関わる時間に全部割いた。
大人のなかにいるとなぜか心が落ち着く。だって「子ども」でいることを肯定してもらえるから。
「まだわかんないよ」「もう少し大人になったらわかるんじゃないかな」
もちろん大人に負けたくないという気持ちはあった。
でも、教えてくれる人に囲まれる喜び、知らない世界を見せてくれる喜びは何事にも代えられない。
社会人になって保育士から転職して企業に入った。本当に辛かった。
上司との関係、同僚との関係に参ってしまい円形脱毛症、心的外傷後ストレス障害になった。
自分で決めた転職、ずっと憧れてた仕事、頑張らなくちゃいけない。
色々なことに押しつぶされてしまった。
「ずっと子どもでいれたらきっとこんなことにならなかった」
「なんで勝手にとっていく年齢に合わせて大人にならなくちゃいけないんだ」
そんなことばかり考えていた。
3月に仕事を辞めてすぐにアメリカ行きのチケットを買った。今日でこっちに滞在して20日間が過ぎた。
昼食を終えコーヒーを片手に裏庭に出ていると「あれ、大人になったからこうやって逃げられたのか」とふと思った。
学校という箱庭は自分じゃ出られない。親に学費を払ってもらい、カリキュラムをこなしていく。卒業しないと将来が無いと言われる。
でも、大人は自分で決断して会社を辞められる。将来だって自分で決めることができる。
家賃だって自分で払っているし親に対して何か申し訳ないと思う必要もないし、一緒にいたくない友達と一緒に過ごす必要もない。
こうやってオハイオ州の僻地まで逃げることができる。
「あー大人になってよかった」
ずっと子どもでいたい、この気持ちは変わらない。
でも、大人もいいよね。悔しいけど。
子どもができないと不安な私と子どもができることが不安の夫
付き合って5年、結婚して1年。新婚のくくりに入るのかもしてないけど、まったくそんな感覚はない。
出会ったときから「この人の子どもがほしい」と思ってた。だから結婚が決まったときは心の底から嬉しかった。
新卒から3年間保育士として働いた。他人の子どもだとわかっていたが、自分の子どものように愛した。
在職中、何千回も「もし自分の子どもだったらこうしてあげたい」「我が子と一緒にこんな遊びがしたい」と考えた。
しかし、私は生理不順で卵巣嚢腫と子宮内膜症を19歳のときに患った。幸いにも卵巣を摘出することなくホルモン剤での治療で完治した。でも、生理不順は未だに続いている。
母も同じように生理不順で悩み、24歳で私を出産してから何度も子作りに挑戦したが上手くいかず16年後に人工授精で妹を妊娠した。
妹を妊娠するまでの16年間、母はホルモン剤を飲んだり注射を打ったりと様々な不妊治療に挑戦していた。副作用で手の震えが止まらなかったり、重度の生理痛で横になる母。そんな彼女をみて「きっと私もこうなるんだ」と将来の自分に不安を感じるばかりだった。
結婚して保育士の仕事を辞め、ライターに転身した。1年働き退職した。退職することを決意した1月に夫と相談して妊活を始めることになった。
生理が定期的に来ている人に比べて生理が来る日を予測できない私は排卵日すらわかってない。
だから「いつか来るべきときに来るよ」という旦那の言葉を受け入れていた。
ある日、寝るときに彼が一言こういった「今妊娠していたらもう時間がないね」、何のことだろうと黙っていると「子ども育てるってお金がかかるから、お金を貯める時間がないよ」と言い出した。
正直、彼の言うとおり経済的に余裕があるわけじゃない。でも、別にお金がなくてもそれなりに子どもは育てられる。「お金も大事だけどなんとかなるもんだと思うよ」と返事をした。
とくに返事がないので、もしやこれは…と思い「子どもができるのが不安なの?」と聞いてみた。すると「すごく不安だよ」と即座に返事がきた。
私はなぜかそれを受け入れられなかった。「妊娠できるかどうかで私は不安でいっぱいなのに、なんで子どもができることを不安に感じるの」とイライラしてしまった。
夫婦感で不安の方向性が真逆に向いている状態に理解が追いつかなかった。
でも今思えば、女には女の不安があって男には男の不安がある。彼はお金よりも父親になることが不安なのかもしれない。
普通のことだわ!と気づくまで時間がかかった。
いわゆる妊活をはじめて半年経つけど、未だに子どもはできない。
私と旦那の感じる不安はまったく違う方向を向いているけど、いつか子どもができたらどちらもクリアになる問題だと思う。
だから今は焦らず”そのとき”がくるまで2人の時間を楽しみたい。
エマ・ワトソンに黄色いドレスを奪われて開けた3本のビールと謎のフルーツ
DL276 デトロイト行きのフライト、今アラスカの手前ぐらい。
16:30に成田空港を出てから5時間たって、3本目の缶ビールを開けたところ。
私のことをよく知る人は「え、酒のんでんの…」と思うはず。
でもよ、言わせてくれよ。
飲まなきゃやってらんねえんだ。
飛行機の楽しみはゆったりのんびり映画を観れるところ。
デルタは座席もいいし、映画もよりどりみどりでアメリカにいくときは出来るだけデルタを使うようにしてる。
今回もいろんな映画があった。
最新の"Table 19"や"John Wick 2"、へーこんなのあんだと観る映画を見定めていたら現在公開中の「美女と野獣」が出てきた。
アニメや漫画の実写版は好きじゃない。
つい最近まで公開していた「ゴースト イン ザ シェル」だって不満だらけ。
もともと実写化した映画に原作以上のものを求めることはしないけど、その分スカヨハのおっぱいに期待する。
でも、おっぱいがまったく出てこなかったから不満だった。
最新映画を観ようと思ったけど気づけば「美女と野獣」に手が伸びていた。
開始15分、涙がダラダラでてくる。
なんでエマ・ワトソンがこのドレスを着てだよ!!!!!
青いエプロンに白いブラウス、茶色のブーツ。
しまいには黄色いドレスまで着て野獣と踊ってる。
悲しさと怒りで気づけばビールを頼んでた。
ラストまでの2時間で2本のビールを開けた。
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今よりずっと素直だった幼いころ、叔母がアメリカに留学していた。
彼女は帰国するたびディズニーのビデオを大量に持って帰ってきてくれた。
そこで出会ったのが「美女と野獣」だった。
全編英語で何を言ってるかわからない。でも、ベルがとても可愛くて、野獣も野獣だけどかっこよかった。
母に頼んで日本語のビデオを買ってもらったときは擦り切れるほど観た。
「いつかベルになりたい」
「黄色いドレスを着て野獣と踊りたい」
毎晩そう願ってた。
3歳から通っていた英会話スクールでは小学部に上がると英語の名前をつける決まりがあった。
母から出て来る名前の候補を全部拒否し、「ベル」にした。
それぐらい大好きだった。
歳を重ねるとそんなことを言ってる自分が恥ずかしかった。
外で遊びすぎて焼けた肌に東南アジア系の顔。
こんな私がプリンセスになれるわけない。
だから、ベルになりたい気持ちは心の奥にしまい込んだ。
中学生のときアヴィリル・ラヴィーンやブリトニー・スピアーズにハマり、赤いスキニーに黒いTシャツを着てた。
イギリス留学中に付き合ってた男の子はパンク好きで綺麗なモヒカンだった。
"あなた色に染まりたい"私はパンクを聞くようになった。
でも、やっぱり、プリンセスになりたかった。
「なんでこんな耳に安全ピンつける男と歩いてんだろ…」
「イギリスのプリンセスはオーロラ姫だったけ、ベルはフランスだからなー」
と留学中はよく考えてた。
恥ずかしい話、26歳になった今でもそう思ってる。
「結婚式でドレスなんて着ねえよw」とか言いながら、家でこっそりドレスのカタログをみてる。
「白馬に乗った王子様なんていやだw白馬担いでくるぐらいの王子様じゃないと私無理」とか言いながらアリエルに出てくる王子がいつか私の元にやってくると信じてる。
でも、現実では、黄色いドレスを着て野獣と踊ってるのは同い年のエマ・ワトソンだった。
にくい!
私が着たかったんだ、そのドレス!!
野獣と踊るためにステップだって散々練習したし、歌の練習だってした。
それなのに、なんでおまえなんだよ!!
お前、ハリー・ポッターだけでいいだろ!!
魔法使えんだろ!!!!
滅!!!!!
くっそおおおおおおおおお!!!ビールが足りねえ!!!!
とわんわん泣きながら映画を観た。
アニメだったらよかったんだ。
だってアニメだから。
アニメのベルは誰でもない。
そう、アニメはアニメのままでいいんだよ。
夢を見せてくれるんだったら、最後まで貫けよディズニー!!
頼むよ!!!
とビールを飲みながらさらにわんわん泣いた。
隣に座っている人懐っこいベトナム人の女の子がビール片手にぎゃん泣きする私を心配して「どしたの?」と声をかけてきた。
泣きながら思いの丈をぶつけた。
そしたら「へー、これでも食べれば?」
なんだよこれ!!!!!
どっから出てきたんだよ!!!
「剥いてあげる」
うまそう…てか、うまい。
「よかった、じゃあこれも」
なんなんだよwwww
レスポサックからどんだけ意味不明なフルーツ出てくんだよww
「剥いてあげるね」
なにこれうめえ。
「よかったー。あなた他に好きなプリンセスいないの」
と聞かれたので「ジャスミンが好き」と答えた。
そしたら「アラジンはまだ実写化してないから、悲しまなくて済むね。シンデレラって言ったらどうしようかと思った」と私のために皮をむいてくれた。
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恥ずかしいけどプリンセスになりたいし、ロマンチックな恋に憧れてる。
素敵な王子様にお姫様だっこされたいし、片足が飛び跳ねるようなキスもしたい。
26にもなってこんなこと言ってる自分が大嫌いだし、大好きだ。
ジャスミンの枠はあいてるし、まだまだ諦めないぞ!!!
まだ見ぬふり私の王子さま、あなたのプリンセスはここにいます。